2010年12月06日

コミュニケーションとは?会話とは?その違いとは?

・上司とコミュニケーションが取れなくて困っている
・社会人や就活生に必要なコミュニケーション力はこれだ!
・1日1分でできる、コミュニケーション能力向上術
・社内コミュニケーションを活発にするために、運動会や飲み会をやろう!

・会話が続かない時には、こう会話せよ!
・これをやれば、あなたも会話術のプロ!
・彼(彼女)のハートを射止める会話のコツ
・できるグローバル人材になりたい人のための英会話

などと言ったり、聞いたり、キャッチコピーを目にしたりしますが・・・

「三方よしの経営相談」や、「自律型人材育成」「組織力の強化や向上」「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」のお手伝いを行なっていることもあり・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるせいか・・・
いろんな意味で、考えさせられる機会が多々あるんですが・・・
(( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン

そもそもの話・・・

コミュニケーションとか会話とかって、いったい何なんだろーか?
コミュニケーションと会話って、どう違うんだろーか?

何のために、コミュニケーションするんだろーか?
誰のために、コミュニケーションするんだろーか?
どんな時に、コミュニケーションが必要になるんだろーか?必要にならないんだろーか?

コミュニケーション能力があるとかないとかって、何を基準に誰がどう判断するんだろーか?
会話力があるとかないとかって、何を基準に誰がどう判断するんだろーか?

どーゆー教育(共育)を行なえば、コミュニケーション力とやらが向上するんだろーか?向上しないんだろーか?
どーゆー教育(共育)を行なえば、会話力とやらが向上するんだろーか?向上しないんだろーか?

どんな組織なら、コミュニケーション力とやらが向上するんだろーか?向上しないんだろーか?
どんな組織なら、会話力とやらが向上するんだろーか?向上しないんだろーか?

なーんて、考えさせられません?

コレって、もしかしたら・・・

「組織じゃないとできないこと、組織でなくてもできることって何だろう?」シリーズ
「無駄な会議と意味のある会議の違いとは?コミュニケーションとの関係って?」シリーズ
英語などの外国語の知識があってもコミュニケーションがとれない原因って?
売上が上がらない、利益が出ない、赤字になる本当の原因って何だろう?
「経費削減、コスト削減、費用削減が進まない原因って何だろう?」シリーズ
「生産性を上げる方法とは?生産性と効率化や合理化との関係って何?」シリーズ
「日本人の生産性が低い理由って?生産性の向上ってどういう事なんだろう?」シリーズ
「視野を広げる方法とは?経営者と従業員の視点って何がどう違うんだろう?」シリーズ

などなどにも、ある意味関係するっちゃーするのかも〜???

なーんて、感じたので・・・

一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。

ちょっと興味あるかも〜?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。(^^)/

んーと・・・

例えば、こんなのから考えてみるのはどーでしょう?


■ 会話とは?
Weblio
二人または数人が、互いに話したり聞いたりして、共通の話を進めること。
また、その話。

会話は話題の伝達を目的とせずに、話すことで共通の価値観を共有したり、共通の時間を分かち合ったりすることに着眼点があるものである。

会話は、しばしばキャッチボールに喩えられる。
キャッチボールは向かい合った二人ないし複数人数が相互にボールを投げ、投げられたボールを相手が受け取って投げ返す遊びであるが、会話も相互に相手に話題を投げ掛け、その返答を期待するものである。

片方が一方的に喋っていたり、お互いに相手の話題に関係なく自分の言いたいことを述べ合っているという「ラジオを2台ないしそれ以上並べて、別々の番組を流している」のと大差ないような場合は、会話の範疇には含まれない。

このため会話の場合は「相手が話題を返し易いよう、その内容を選ぶ」という性質を持つ。


■ コミュニケーションとは?
ウィキペディア
複数の人間や動物などが、感情、意思、情報などを、受け取り合うこと、あるいは伝え合うこと。
コミュニケーション行動の機能は、たんに情報の伝達にとどまらず、情動的な共感、さらには相手の行動の制御をも幅広く含んでいる。

情報の種類は、感情、意思、思考、知識など、様々である。
受け取るまたは伝える ための媒体としては、言葉、表情、ジェスチャー、鳴き声、分泌物質(フェロモン等)などが用いられている。


@IT情報マネジメント
コミュニケーションという言葉は、ラテン語のコミュニス(communis)から由来している。
これは今日の英語でも使われるcommon(共通したもの、共有物)とも相通ずる概念である。
つまり、「コミュニケーション」とは、仲のいい友達と5分間で何十通もメールをやりとりするようなことでは決してない。

「立場・見解の相違を超えて、実りある意見交換をし、その成果価値を“共有”すること」といえよう。
“コミュニケーションを取ること”はあくまで手段であり、目的となってしまってはならないのである。


「図解 フィンランド・メソッド入門」
英語がかなり上手な人でも、相手が外国人だと、いまひとつ自分の言いたいことが伝わらない。
あるいは、相手の言いたいことが、いまひとつ見えない。
結局、交渉も議論も噛み合わない・・・。
こういう事態がしょっちゅう起こったのです。

英語の能力以前に、根本的な能力が欠けていることがわかったのです。

その能力が欠けているかぎり、どんなに英語が上手でも国際的には通用しません。
それは、相手がどこのだれであろうと、自分の言いたいことを理解させる能力、そして、相手がどこのだれであろうと、その言うことを理解する能力です。

多くの国では、この能力を小学校から国語の授業で段階的に教育しています。
しかし、残念ながら日本では、この能力を身につけるような教育はされていません。

誤解のないように言っておきますが、日本人のコミュニケーション力が劣っているといっているのではありません。
むしろ、世界的にみても、日本人ほどコミュニケーションに細かい心配りをしている人々はいないと思います。

ただし、そのコミュニケーション力は、相手が日本人の場合にしか通用しません。
日本人同士ならば、いちいち説明しなくても分かり合える部分が多いからです。

しかし、世界には、さまざまな人々がいます。
そのほとんどは、日本人にとって当たり前のことであっても、いちいち説明しなければ分かってくれません。


「ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪」
就職活動の習慣は、日本独自のものだといってよい。

日本の就職活動においては、「何が採用の基準となっているのか」がはっきりしないため、不採用とされた学生はひたすら自分の内面を否定し続けることを求められる。
象徴的な言葉が「自己分析」である。

欧米においては、採用は職業能力を基準に行われることが基本だ。
具体的にどのような職業上の能力を有しているのか、経験を有しているのか、こうしたことが採用の基準である。
不足があれば公共職業訓練を受けるなど、対策もはっきりしている。

一方日本の企業が求める能力は、「コミュニケーション能力」というあいまいで抽象的な基準がもっとも重視され、職業上の専門性は軽視されていることが知られている。
就職活動と具体的な職業能力が結びつかないために、「自分探し」を強要される構図である。

キャリア・カウンセラーも、まさに、「カウンセリング」を受け入れさせるという意味で、マインド・コントロールに一役買っている側面がある。
彼らも、学生に「自分が悪い」ことを認めさせ、心理学的手法を用いて精神をコントロールする。
「自分を見つめなおす」ことを通じて価値観や人格を「矯正」してゆくのだ。

子ども扱いをされ、泣かされながら自己改革を求められる。
自分の人生や価値観が全否定される。
カウンセラーはその「手助け」をするのだ。

こうしたもろもろの就職活動とカウンセリングを通じて、冷静な思考が剥奪され、「自己都合退職」やうつ病の罹患に至るまで、ブラック企業に盲従する者が完成する。


「すみません」の国 」
言葉を文字通りに受けとめると、痛い目に遭うことがある。

「暇なのは今のうちだけだから早く帰りなさい」という上司の甘い言葉を真に受けて定時に帰ったら、やがて冷たい視線が向けられるようになり、否定的な評価を与えられ、ついに怒鳴られた。
「もう一軒飲みに行くか」という誘いに素直について行ったら、なぜか気まずい雰囲気になり、遠慮すべきだったと気づかされた。

そのようなことは日常茶飯事だ。

日本社会に適応するには、言葉の背後にある思いを察することが求められる。
言葉そのものではなく、その人の表情や言い方のニュアンス、その場の状況などにも注意を払わなければならない。

はっきり意見を言わない、曖昧な表現が多すぎる。
理屈が通じない。

正論では会議の場や組織が動かない。
ホンネが読めない。
「察する」ことを求められる・・・。

日本的コミュニケーションはじつにややこしい。
もう少しホンネがやりとりできないものかと思う。

そう嘆く私自身も、目の前の相手の気持ちを察してホンネを抑えることがしばしばある。
むしろ相手の気持ちや立場はお構いなしでホンネをぶちかます人物を見ると、ちょっと慌ててしまう。

素直と言えばじつに素直なのだろうが、ある意味で自己チューな人物だなあと呆れる。
本人はまるでお構いなしだが、こちらの方が言われた相手の気持ちを察して、気まずい感じになる。

ホンネとタテマエの二重構造に振り回され、そのわかりにくさといやらしさとに、つねづね不快感を覚えている私自身の中にも、この二重構造はしっかりと根付いていることに気づかされる。

事実や意見をできるだけ正確に伝えようとする欧米人に対して、私たち日本人は、これを伝えたら相手はどんな気持ちになるかを気にして、言うべきことや言い方を調整する。
正確さを伴う説明責任よりも、気持ちや関係性を重視するのだ。

こんな会話が聞こえてきた。
新人が突然、辞表を出して辞めてしまったらしい。

「何かわからないことや困ったことがあれば、遠慮なく言うようにって、オレはちゃんと言ってたんだよ」
「ちょっと不満げな様子を見せたことがあって、そのときも、何か困ったこととか要望とかあったら言ってくれよと声をかけたら、とくにありません、ありがとうございますって言うから、そのままにしたんだ」

「そうしたら、いきなり辞表だろ。理由を訊いてもはっきりしないんだけど、とにかくもう限界ですって言うんだ」
「抱え込んじゃう前に、なんで相談してくれないんだ。何かあれば言ってくれって言ってるのに」

これを聞きながら、よくありそうなことだなと思いながら、ちょっと考え込んでしまった。

「察するなんて無理だ」と言う若い世代が、自分の思いを口にせずに、「察し」てくれるのを期待していることになる。
ホンネとタテマエの二重構造は、世代を超えてしっかり継承されているというわけだ。

そんなややこしい二重構造なんて捨ててしまえばいいのに、と思う人も少なくないはずだ。
ところが、じつは、この二重構造のお陰で社会や人間関係がスムーズにいくといった面もあるのだから、なおややこしい。

欧米社会と日本社会では、コミュニケーションが担わされている役割が違うのだ。

欧米社会においては、コミュニケーションは自分の意見や思いを相手にできるだけ正確に伝えるための手段であり、はっきりと言葉で伝えることで説得しようとする。
自分の意見や思いをストレートに押し出す。

それがコミュニケーションの役割だ。
したがって、対立意見を闘わせるディベートが盛んに行われる。

これに対して、日本社会においては、コミュニケーションは良好な関係を保つための手段であり、自分の意見や思いを正確にわかってもらおうという意思は乏しい。

説得しようとしているわけでもない。
お互いの対立点をぼかして、「何となくいい感じ」の雰囲気を醸し出そうと努力する。

自己主張ではなく、お互いの気持ちを結びつけるのがコミュニケーションの最も重要な役割となっている。
いわゆる「和」の雰囲気を醸し出すのがコミュニケーションの目的となる。

自己主張をして相手を説得しようという動機の乏しい日本的コミュニケーションでは、自分の意思の伝達よりも相手の出方を窺うのが中心となる。
相手の出方を確かめることで、相手と自分がほどほどに納得できるような着地点を見つけようとする。

このような文化的伝統を踏まえてみれば、私たち日本人が自己主張をうまくできず、議論が下手なのは、当然のことと言わざるを得ない。
相手の出方ばかりを気にしていて、主体性がないとか、自分がないとか批判されるが、それも仕方のないことなのだ。


「心の対話者」
「コミュニケーションの達人」というと、かつては話し上手で、的を射た情報を提供したり、おもしろい話ができたり、ためになるアドバイスができる人のことをいった。
つまり、コミュニケーションの比重は、「話す」ことに置かれていたのだ。

しかし、近年、「話す」ことより「聞く(聴く)」ことにその比重は移り、いかに「聞き上手」になるかが、コミュニケーションの最重要テーマとされるようになってきた。
悩みを抱えたり、心に傷をもつ人々のケアをする「カウンセリング」においては、まさに「聴く」ことが、そのすべてといっても過言ではない。

とはいえ、たいていの人は、人の話を聞くより、自分の話をするほうが好きだ。
「会話を楽しむ」というのは、互いの知識や思いをやり取りして、相乗的な楽しさを築いていくことにあるわけだから、通常の会話で、「聞く」ことより「話す」ことに重きが置かれることめざして、相手を楽しませる話をしようと努力するものである。

多くの人は、話を聞くより、話すことのほうが好きだし、聞くことより話すことに多くの関心を払っているものだ。

「自分の話を楽しんでもらおう」
「自分の言うとおりにしてもらいたい」

といった願望をもつのだ。

しかし、聞くことより話すことに意識が集中すれば、相手が話しているあいだの時間は、次に自分は何を話すかを考える時間になる。
相手に話をする猶予を与えたとしても、それは自分が話すための準備時間であり、聞くことに神経はいっていない。

このような状態では、相手も同じ心理状態になりがちで、うっかりすると、互いにモノローグをぶつけ合うだけになってしまう。

自分のことしか話さない人が嫌われることは、多くの人が気づいている。
だからこそ人は、相手に話をする時間を提供しながら、自分の話も聞いてもらおうと努力するのである。
しかし、そのような人でも、多くの場合、本心では自分の話を相手に聞いてもらいたいと思っているのである。

対話の目的が、互いの思いを理解し合ったり、互いの情報を共有することにあるとすれば、私たちは、もっと「聞く」ことの価値を認識しなければならない。

「話をしっかり聞く」ということは、もう少し厳密にいえば、

「相手がどのような話をしても、それに寄り添って付いていく」

ということだ。

会話において、自分の話したいことを「この人に聞いてもらいたい」と感じさせるポイントは、この受容にある。
「もしかしたら、とんでもないところまで行ってしまうかもしれないけれど、私はいっしょに行きますよ」
という意思を示してもらえると、人は非常に話しやすくなり、自分の思いを伝えたいという意欲を高めるものだ。

賛成も反対もせず、何らかの先入観や固定観念、既成概念をひとまず脇に置いて、相手の話を聞くことに集中する。
これが真の受容である。

先入観や固定観念、既成概念を前提として話を聞いていると、聞き手独自の枠組みをつくり上げ、その枠組みに入るものを歓迎し、その枠組みからはみ出すものを否定する結果になり、相手は「受け入れられていない」という思いを抱くことになる。

事前に枠組みをつくってしまう聞き方を、話し手は敏感に察知する。
「ああ、この人は自分の枠組みの範囲でしか私の話は聞いてくれない」
と判断し、自分が感じたり思ったりしたことを語って、理解してもらおうという意欲を喪失してしまう。

特にこうした枠組みの存在がはっきり読みとれるのは、教師と生徒、親と子ども、上司と部下のように、地位の上の者が地位の下の者の話を聞く場合で、このような状況では聞き方も受容とはほど遠いものとなる。


「ゼロのちから ― 成功する非営利組織に学ぶビジネスの知恵11」
人間に耳が2つあって口が一つしかないのには理由がある。
3分の2の時間は聞いていなければならない(少なくとも!)ということだ。
いちばん良いのは、1対1でじっくり話を聞き、相手のことを知ることだ。

あなたの組織目的が潜在的な支援者の興味と重なる部分を考えてみてほしい。
そして支援者の興味がまったく一致しない場合を。

それほど長い時間はかからないはずだ。
その重なる部分が見つかれば、そのお互いに関心のある領域に注目して、具体的な話し合いを始めることができる。


「モモ」
小さなモモにできたこと、それは他でもありません。
相手の話を聞くことでした。

なあんだ、そんなこと、と皆さんは言うでしょうね。
話を聞くなんて、誰だってできるじゃないかって。

でもそれは間違いです。
本当に聞くことのできる人は、めったにいないものです。
そしてこの点でモモは、それこそ他には例のない素晴らしい才能を持っていたのです。

モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にも急にまともな考えが浮かんできます。
モモがそういう考えを引き出すようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。

彼女はただじっと座って、注意深く聞いているだけです。
すると相手には、自分のどこにそんなものが潜んでいたのかと驚くような考えが、すうっと浮かび上がってくるのです。

モモに話を聞いてもらっていると、どうしてよいかわからずに思いまよっていた人は、急に自分の意志がはっきりしてきます。

ひっこみ思案の人には、急に目の前が開け、勇気が出てきます。
不幸な人、悩みのある人には、希望と明るさがわいてきます。

こういう風にモモは人の話が聞けたのです。


「戦略と実行 ― 組織的コミュニケーションとは何か」
コミュニケーションとは、

「送り手が受け手と意味を共有する(度合いを上げる)ための、対話、会議、メールなどを含めた様々な行動」

のことです。

「意味を共有する」とは、一言で言えば「相手の言いたいこと、気持ちがわかる、理解する」ことです。
「話す」「言葉を交わす」から、コミュニケーションが成立したとは限りません。

「この情報が大切だ」という意味が伝わるためには、「なぜ私は大切だと思うのか」「なぜこの情報に意味があると考えるのか」という、考え方、価値観が伝わらなくてはならないからです。

相手の考え方を理解し、意味を共有することは必ずしも合意することを意味しません。
しかし、意味を共有しなければ、本当に合意することはありません。

「考え方」「価値観」とは、立場によって、またこれまでの経験などによって異なります。
ですから、コミュニケーションの目的は意見の違う人たちを理論で屈服させることではありません。

「自分がなぜこういう考え方をするのか」を、ほかの(別の考えを持った)人にわかってもらうことです。
言い換えれば、コミュニケーションの本当の目的は「共有する」こと、単に情報量が増えるというだけでなく、お互いの立場をよく理解することです。

コミュニケーションが必要とされるのは、価値観が同じであっても、違っても、「何が同じなのか、何が違うのか」をはっきりさせるためだといってよいかもしれません。
同じ会社だから、違う部署だから、そういった表面的な理由だけで「共有化できたつもり」「違うつもり」にならず、本当にそうなのか、出来たとすれば何が出来ており、出来ていないとすれば何が出来ていないのかという、「つもりを掘り下げる」ことこそがコミュニケーションの役割です。

その意味で、コミュニケーションの本当の価値は、コミュニケーションをしてはじめてわかることがよくあります。
コミュニケーションをしなければ、それですんでしまうことも多いのです。

仲のよい友人、あるいは場合によっては夫婦が、何年もしてから「あなたはそういうことを考えていたの」と驚いた経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。

逆に言えば、お互いの立場や考え方を理解し、またそれによってそれぞれの価値観や考え方の幅を広げ、win-win の方策を見つけたり、良い妥協をすることで組織として前に進むということこそが、組織の実行力の本質ではないでしょうか。

その意味で、コミュニケーションとは大変な労力が要るものなのです。

多くの経営者、上司は意識的、あるいは無意識的にレベルに合わせてコミュニケーションの方法を使い分けています。
大切なことは面接やミーティングで、そうでないことはメールでという具合です。

しかし、実はそうした「使い分けの理由」が社内で共有化されていることは意外と少ないものです。
なぜこのコミュニケーションの方法をとったのかが共有化されなければ、その内容の共有はおぼつきません。


「IT社会の護身術」
メラビアンの法則を取り上げて「だから、面接では見た目が重要」とか「プレゼンテーションはビジュアルに行え」などと誤って引用しているケースがある。

見た目が重要であることや、ビジュアル表現が効果的てぎあることは間違いはない。
しかし、メラビアンが示したのは、矛盾したメッセージにおいて言語、聴覚、視覚情報が解釈に与える影響力なのである。

日常の会話では、恋愛の場面に限らず、実際に矛盾のある言葉や曖昧な言葉、また主語や目的語を省力した言葉が頻繁に使われている。
それでも対面であれば、視覚情報と聴覚情報が補完していて、コミュニケーションを成り立たせている。
むしろ、対面のコミュニケーションでは、言葉に矛盾があってもなくても、非言語のほうが情報の伝達という面では大きな役割を果たしているようだ。

例えば、同僚からアフター5の食事の誘いを受けて、笑顔で「いいよ」と快諾したとする。
同僚は笑顔を見た時点ですでにOKだと理解しているだろう。
そして、返答の口調からも好意的な気持ちを確認できたはずだ。
そこでは非言語情報が活躍している。

ところが、電子メールでの「いいよ」の返信は「No, thank you」の意味の「結構です」なのかもしれない。
「いいよ」には全く異なる2つの意味があるうえ、電子メールでは非言語情報が伴わないため、受け手に正確に伝わる保証はない。

非言語の重要性を考えたならば、IT社会が生んだ電子メールや電子掲示板での会話の危うさに気が付くであろう。
これらのコミュニケーションでは、原則として、言語情報でのやり取りが行われる。

そこでは矛盾したメッセージの解釈に93%の影響を持つ視覚情報と聴覚情報は切り捨てられている。
同じく言語情報のみが使われる手紙や葉書、ファクシミリとの決定的な相違の一つは、小さな液晶画面に納まる程度の圧倒的に短い文で会話をするということである。
短い文では、誤解も生まれやすい。

さらに危険なことは、この不完全なコミュニケーションを、文章力や解釈力の未熟な子どもたちが使っているという点である。

IT社会が生んだ不完全なコミュニケーションツールを使うには、情報リテラシー以前に、読み書きの土台であるリテラシー自体が必要となる。

つまり、ITを正しく使うには、実は国語の力が重要だったのである。


「「上から目線」の構造」
一方的につぶやくのは気楽な発散法に違いない。
だが、現実の対面場面で一方的に発散する人物ほど迷惑な存在はない。

人間関係には相互性が不可欠だ。
ネット上を居場所にする若者の増加は、逆に言えば現実社会に根を下ろせない若者が増えていることを意味する。

対面のかかわりとネット上のかかわりを比べると、何が一番違うのか。
それは、相手が見えるかどうか、相手に見られるかどうか、つまり視線のやりとりがあるかどうかだ。
ネット上のやりとりの気楽さは、対面と違って視線のやりとりがないことにあるといってよいのではないか。

対面が苦手な人物は、たいてい電話も苦手だ。
どちらも臨場感があるからだ。

電話の場合は、当然視線のやりとりはない。
だが、声を通して臨場感のあるやりとりをすることで、相手の視線が目の前に浮かんでくる。

映像的な意味での視線というより、相手からどう見られているか、自分の言うことがどのように受け止められているかという意味での相手の視線が気になるのだ。
相手の視線を読みながら、臨機応変の対応をしなければならない。
そうした臨場感が苦手なのだ。

それに比べるとメールは非常に気が楽だ。
相手の反応はすぐにはわからないし、即座に反応する必要もない。
とりあえずはこちらのペースで伝えたいことを一方的に書けばよい。

電話をしなければならない相手になかなか電話しない部下にイライラする上司は少なくないようだ。
メールでの対応はふつうにできる。
一方的なコミュニケーション手段だからだ。
双方向コミュニケーションが苦手なのだ。

相手がどう受け止めるか、どう反応してくるかを気にしながら話し、相手の反応に応じてこちらの話すことを臨機応変に決めていかなければならない。
そう思うだけで、気持ちが萎縮し、逃げたくなってくる。
電話しなければと思うのだが、ついつい後回しにしてしまう。

このあたりの事情は、対面のかかわりが当たり前だった世代には、なかなか理解できないかもしれない。


「明日から部下にイライラしなくなる本 - 上司の仕事を自信をもって続けていくために -」
相手を十分知るためのコミュニケーションがそもそも不足している中で、期待通り行動や反応をしてくれないと、自分とは相容れない人だと感じやすくなります。
相手の行動の背景にある意図や人格を、どんどん悪い方に解釈してしまう。
こんなことは誰にでもあることです。

問題は、ここからです。

相手を正しく理解しようとする努力、コミュニケーションをあきらめてしまったら、その人への解釈が歪んだ形で固まってしまいます。
そして、気づくとうまく関われなくなる、自然な対話ができなくなる。
コミュニケーションがストレスになっていきます。

そうしたコミュニケーションを極力減らすために、最低限の仕事のやり取り以上の対話を避ける、目の前の仕事に追われる中で、ちょっとしたことでイライラさせられたり、振り回されたくないから、モメそうなこと、意見をぶつけるような場を避ける。
本音の議論、背景まで含めた理解がないまま、淡々と仕事をこなしていく・・・。

一見、よけいなストレスがなく「楽」なようですが、一緒に何かをやっている、乗り越えている感がなく、「楽しい」と思うこともない。
こんな状況で、仕事を続けることが、職場で働き続けることができるでしょうか。

-----


うーん・・・
どーでしょう???

「ふぅーむ、ナルホドナルホド φ(.. )」
「そーか、そーゆーことか、ナットク ( ̄∀ ̄)b」

という方も、いらっしゃれば・・・

「げっ・・・、そっ、そーだったかのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「こっこっこっ・・・、コレは・・・!!! ( ▽|||) 」

という方も、いらっしゃれば・・・

「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;)」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/」

という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?

こーやって考えてみると、もしかしたら・・・

「日本人の強みや弱みとは?外国人には真似できないことって何だろう?」シリーズ
「優秀な人材が見つからない、有能な人材が採用できない原因って何だろう?」シリーズ
「優秀な人材が辞める本当の理由、優秀な社員から辞める原因って何だろう?」シリーズ
誰にも相談しない、相談したくない、相談できない理由って何だろうか?
部下が質問しない、質問したくない、質問できない原因って何だろう?
部下や上司、他部署の欠点、弱点、問題点ばかりが気になる原因って何だろう?
思考停止を招く教育とは?従業員の主体性や向上心が育つ人材育成って?
自律型人材は、一方的に教えて育てる教育で育てられるんだろうか?
人材育成をマーケティング・コンセプトから考えると見えることって何だろう?
「強い組織の作り方とは?強い組織か弱い組織かの判断基準って何だろう?」シリーズ
「根本的な原因とは?真因とは?今見えている問題って本当の問題?」シリーズ

などなどにも、関係するっちゃーするのかも〜???
なーんて、感じません? (^^)

ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・

まだ見えていないだけで・・・

意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお〜っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ〜♪


のかも〜???

なーんて、感じません? (〃▽〃)

どっ・・・、どうでしょう?
皆さまは、どう思われますか?


と言う訳で、「意味が曖昧な言葉から、自律的に考えて行動してみる」カテゴリとしては、


組織の貢献とは?「貢献せよ」って正しい使い方なんだろうか?


へ、続きまーす。(^^)/

ちょっと興味あるかも〜?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。(^^)





★★★ ネクストストラテジーは、三方よしの場づくり黒子サポーターです ★★★
「ヒト(組織)」「情報(IT)」を中心に、「三方よし経営」のお手伝いを行っております。(^^)/
「自律型人材育成」「自律型の組織変革」などのご相談、
首を長ぁーくして、お待ちして申し上げております。 m(_ _)m



【追伸】
「・・・で、答えは何なの???」と思った方へ


よろしければ、以下の記事も見てやっていただけると嬉しいです。(^^)

「自分で考えて行動する「自律型人材」が育つ組織って?」ブログについて
「答えが見つからない、探しても解決策が見つからない原因って何だろう?」シリーズ
「自分で考える」と「独りで考える」って同じ?自律性などとの関係って?
「自立」とは?「自律」とは?その違いって?自律型人材とは?
「社長、上司、部下、会社組織にとって本当に必要な支援って何だろう?」シリーズ


posted by ネクストストラテジー at 08:40| Comment(0) | 意味が曖昧な言葉から考えて行動してみる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。