2011年06月20日

報酬って何?経営者も従業員も仕事を通じて何を得たいんだろう?

「報酬」がどーのとか・・・
「給料」がどーのとか「給与」がどーのとか「賃金」がどーのとか・・・
「インセンティブ」がどーのとかについて・・・

「三方よしの経営相談」や、「自律型人材育成」「組織力の強化や向上」「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」のお手伝いを行なっているからか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからか・・・

いろんな意味で考えさせられるコトもあるんですけど・・・
ンーン (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン

コレって、もしかしたら・・・

「経営者の視点を従業員にも持って欲しいと社長が思う理由って何だろう?」シリーズ
社長が従業員に相談しない、相談したくない、相談できない理由って何だろう?
「社長が孤独を感じる瞬間って?孤独を感じる時、感じない時って皆同じ?」シリーズ
中小企業の従業員が知っておきたい経営者が孤独を感じる原因って何だろう?
後継者の孤独とは?2代目や3代目など中小企業次期社長ならではの苦労って何だろう?
「社長が愚痴る理由、従業員には愚痴らない、愚痴れない理由って何だろう?」シリーズ
自慢話を社長はなぜするんだろうか?自慢話に聞こえてしまう理由って何だろう?
社長がいつも強気でパワフルで元気で前向きで楽観的に見える理由って何だろう?
子供を跡継ぎにするか迷う、跡を継がせるかどうか社長が悩む理由って何だろう?
「事業承継とは?中小企業の経営で本当に引き継ぐ必要がある事って何だろう?」シリーズ

などなどにも、ある意味関係するっちゃーするのかも〜???
なーんて、感じたので・・・

そもそもの話・・・

報酬って、いったい何なんだろーか?
給料や給与、賃金って、いったい何なんだろーか?
インセンティブって、いったい何なんだろーか?

報酬と給料や給与、賃金って同じなんだろーか?
報酬には、給料や給与、賃金しかないんだろーか?

給料や給与、賃金とインセンティブって同じなんだろーか?
インセンティブには、給料や給与、賃金しかないんだろーか?

経営者は、仕事を通じて何を得たいんだろーか?
従業員は、仕事を通じて何を得たいんだろーか?

経営者が欲しい報酬やインセンティブなどって、いったい何なんだろーか?
従業員が欲しい報酬やインセンティブなどって、いったい何なんだろーか?
経営者が欲しい報酬やインセンティブなどって、従業員が欲しい報酬やインセンティブなどと同じなんだろーか?

報酬やら給料やら給与やら賃金やらインセンティブやらを得たり与えたりすることって、目的なんだろーか?
報酬やら給料やら給与やら賃金やらインセンティブやらを得たり与えたりすることって、手段なんだろーか?

何のために、報酬やインセンティブなどが必要なんだろーか?
誰のために、報酬やインセンティブなどが必要なんだろーか?

などなどについて・・・

一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。

ちょっと興味あるかも〜?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。(^^)/

んーと・・・

まずは、例えばこんなのから考えてみるのはどーでしょう?


■ 給料とは?
はてなキーワード
労働の対価。
現金で支給されるのが原則。


Weblio辞書
使用人の労働に対して、雇い主が支払う報酬。
俸給。サラリー。


■ 給与とは?
Weblio辞書
(1) 公務員や会社員の給料や賞与など、勤務に対する対価の総称。税法上は、俸給・給料・賃金・歳費・賞与及びこれらの性質を有するものをいう。
(2) 金銭・品物などをあてがい与えること。

給与とは、会社で働く会社員などが労働の見返りとして、 事業主から支払われるすべてのもの(諸手当を含む)と定められています。

労働法では「賃金」、 健康保険法などの社会保険では「報酬」とも呼ばれます。

会社員が実際に支給を受ける給与では、 社会保険料(健康保険料、厚生年金保険料、介護保険料)、 雇用保険料、所得税、住民税などが差引かれており、 差引かれた後の給与を手取り給与とも言います。


■ 賃金とは?
ウィキペディア
賃金とは、名称のいかんを問わず、雇用契約における労働の対価として、使用者(雇用主)が労働者に支払うすべてのものをさす。


■ 報酬とは?
はてなキーワード
労働の対価によって得る金銭のこと。


コトバンク
労務または物の使用の対価として給付される金銭・物品など。


■ インセンティブとは?
ウィキペディア
インセンティブとは、社会活動(その大半は業務)をある行動に向かわせるための理由として、最終的には金銭面で有利になるような方向で行われる方策を指す。

日本語では「誘因」とも訳される。


Weblio辞書
刺激・奨励・誘因などがその本来の意味。
従業員を動機づけするような刺激となるようなものを言う。

インセンティブとして主なものは、昇給、昇進・昇格、一時金(賞与・ボーナス、報奨金等)、職場環境、労働条件の改善 等。


コトバンク
意欲向上や目標の達成のための刺激策。
個人が行動を起こすときの内的欲求(動因:ドライブ)に対して、その欲求を刺激し、引きだす誘因(インセンティブ)を指している。

企業では、自社の従業員を動機づけるためだけでなく、販売店の販売意欲や消費者の購買意欲を駆り立てる目的でも用いられる。
具体的には、報奨金、表彰、景品などの形をとる。

-----


で・・・

次に、例えばこんなのからも考えてみるのはどーでしょう?


「日本の競争戦略」
日本企業の経営者が抱える問題は深刻である。

日本企業に広くみられる組織構造は、いまだに漸進的な改善を継続的に進めることを念頭に構築されている。
多くのビジネスにおいて、強固な階層構造はますます時代遅れのものになりつつある。

組織内部のインセンティブの仕組みも変革が必要である。
さもなければ、日本企業は独自の戦略を欠いたまま模倣戦略を続け、業績改善に苦しみ続けるであろう。

労働市場の流動性が高まり、高齢化による労働力人口の不足が加速するにつれて、日本企業は人材の獲得・維持のためにより独創的な知恵を絞る必要が出てくるであろう。

日本企業は、何よりもまず従来の考え方や自らの行動を大きく転換する必要がある。
今、日本企業には、その経営や競争に関する新たな概念が求められている。

今のところ日本企業の自己変革努力の焦点は、コスト削減や製品ラインの絞り込み、インセンティブの修正、ガバナンスの拡大等にあてられている。

コスト削減だけでは、成功はおぼつかない。
経営目標を再定義した上で、競争優位をどのように創造し、それを維持するのかについて、認識を新たにすることが必要なのである。

文化は最も変えることが難しく、日本の変革の障害となるものは文化的要素である。
「出る杭は打たれる」という集団指向の強い社会は、新しい経済モデルとは相容れない。

日本の多くの経済的文化は、学習されたものである。
それは、現在の経済システムに組み込まれた、様々なインセンティブや規則から生まれたものである。

たとえば終身雇用制は、戦後の労働争議の産物であり、日本のマネジャーと従業員の間に元来文化的に根ざす関係ではない。
社会状況が変わるにつれ、経済文化は変わっていき、また変えることができるものである。

今日、日本では、恐怖感からと必要性に迫られた変革が断片的に起こっている。
個々の取り組みは、国際的商習慣を採り入れることや、明らかに支障をきたしている事項に対処することを目的に行われている。

それらは対症療法にすぎない。

いまだに欠けているものは、日本が現在直面している困難の原因を包括的に理解し、日本独自の解決策を打ち出すことである。

今こそ、日本が新しい経済戦略に取り組むときである。
その戦略は、競争に対する過去のアプローチの長所と限界に対する深い理解に基づくものでなければならない。

新たな日本企業像を示す事例は、すでに確実に芽生えている。
比較的新しい企業の多くが、従来日本の産業を支えてきた大企業とは全く異なる方法で競争している。

これらの要因すべてを競争に対する新しいアプローチに組み込むことができれば、他の多くの日本企業も、大いに繁栄することができるだろう。

日本企業が直面している最重要課題は、戦略の必要性を認識した上で、競合他社とは明確に異なる独自性を打ち出すことであろう。
日本企業が真の戦略を構築するに当たって、多くの障害が企業内部に存在している。

日本が根本的な変革を実施できるかどうかについては、疑問を持つ向きが日本の国内外に多数存在する。

日本は伝統を重んじる国であり、安定を尊ぶ国である。
しかし同時に、国家の将来を左右する事態に直面した際には、驚くべき自己変革能力を発揮する国でもある。

過去の転換点においてそうであったように、いったん日本人の心構えが変われば、日本という国は急速に変貌を遂げる潜在能力を備えた国なのである。


「新・日本の経営」
日本の会社を特徴づけている経営のあり方は、企業と従業員の関係を中心としており、日本的経営と呼ばれている。

とはいえ、日本企業では年功と賃金の間のきわめて強い結びつきに変化があらわれている。
全体として、日本企業で年功序列制の重要性は急速に薄れている。

これは日本社会全体で長幼の序列が崩れてきたことによる動きであり、同時にこの傾向を強める動きでもあるように思える。

だが、終身雇用制は終わっていない。
終身雇用制は当時もいまも、社会組織としての会社が構成員に対する義務をどこまで果たしているかを示すものである。

日本は地理的な条件、言葉、文化といった点で、そもそも壁ができている。
日本はあらゆる面で「島国」なのであり、大陸国家とは性格が違う。

日本の制度は、いかに優秀な人でも、将来性がある人でも、外国人を探し引きつけるようにはできていない。
経営幹部を日本に招聘するのは簡単ではない。

そして、日本に長期にわたって滞在し、日本国籍を取得することなど、考えもしないのがふつうのようだ。

日本の研究開発がぶつかっている問題のうちかなりの部分は、ここに起因している。
日本の科学が世界の研究開発の中心地からある程度孤立した状況が、今後も長く続くことになろう。


「ワーク・シフト」
消費者の行動の変化は、すでに経済のあり方に大きな影響を及ぼしはじめている。

市場で生き残るために、企業は商品やサービスの質をたえず改善し、コストを徹底して削減し、新たな企業買収の機会に抜け目なく目を光らせ、休みなくイノベーションを推し進めて、市場に送り出す商品やサービスを刷新し続けなくてはならなくなった。
その努力をおこたれば、消費者はあっさりほかの企業やブランドに乗り換えてしまう。

このような時代が訪れたことは、働き方の未来に対してきわめて重い意味を持つ。

買い手が商品の乗換えをしやすくなれば、売り手としては、一人たりとも消費者を逃さず、一社たりとも顧客企業を手放さず、あらゆるチャンスをモノにし、すべてのきっかけを売上に結びつけるために、これまでに輪をかけて目の色を変えなくてはならなくなる。

私たちはますます慌しい生活を送る羽目になる。

ビジネスの世界で競争が激化する結果、雇用は新興国など、賃金の安い国にますます流出する。
私たちは、地球の裏側にいる無数の人々と仕事を奪い合うようになるのだ。


「パラダイス鎖国」
国内に目を転じると、国際競争力の低下という危機がひたひたと迫っているのに、清潔で安全な社会に住み慣れた日本人は海外に対する興味を失っているように見える。

中からも外からも、つながろうとする力が弱まり、日本は孤立しつつあるのではないか?
日本は、誰も強制していないけれど、住み心地のいい自国に自発的に閉じこもる「パラダイス鎖国」になってしまったのではないか?

かつてアメリカやヨーロッパは、日本人にとってあこがれの地であった。
海外に行く機会のある仕事は、あこがれの仕事だった。
海外旅行とは一生に一度の「夢」であった。

しかし、いまや日本人が海外に行く必要などすでにない。
アメリカでもヨーロッパでも、日本ではしなくてよいスリや置き引きの心配をさせられる。

関税が下がったり円が高くなったりして、輸入品はすっかり安くなり、わざわざ海外まで行かなくとも欲しいものには手が届く。
海外の情報はインターネットで簡単に入手できる。

それになんといっても日本はどこに言っても清潔だ。
欧米諸国ですら、清潔さでは日本にかなわないのだから、途上国に行くには相当の覚悟がいる。
お腹をこわす危険性も加わる。

その上、これまで国際テロがなかった国ですらその標的となり、海外旅行にはテロや戦争の心配まで加わってしまった。

日本が豊かな先進国になって、海外への憧れがなくなったのは、抗しがたい時代の流れである。
また、日本を代表する企業が新しいグローバル化の公式を見つけられないというのも、時代の流れである。

こうした状況のために企業のインセンティブ・システムが混乱をきたし、「リスクや苦労を負ってでも海外で仕事をしたい」と思う若い人が減っているとしたら、若い人たち自身を責めることはできない。

産業のコスト構造と、産業のコスト構造と、海外事業のビジネスモデルは、ガッツや根性だけで変えられるものではない。

「若者よ、海外を目指せ!」と言いたくなるのもわかるが、叱咤激励されても当の若者は、「なぜ、そんなことをする必要があるの?」と答えるだろう。
それだけではインセンティブにはならない。

いまの日本には、物理的な「惨めな状況」や「飢えて死ぬ」ということはめったになく、この種のネガティブな状況の克服といったインセンティブは働きにくい。

豊かな時代が悪いのではなく、こういう状況下でのインセンティブ設計のノウハウが日本にはあまりないことが問題なのである。


「経営の未来」
あなたの会社には、社員を忙しくさせておくインセンティブがたくさんある。
(「私が全力で働いているように見えれば、会社は私の仕事をオフショアリングしないのではないか」というような)

しかし、未来を静かに思い描く時間をとることを促すインセンティブは、いったいどこにあるだろう。

効率を追求するなかで、企業は業務から多くの無駄をそぎ落としてきた。
それ自体は、もちろん悪いことではない。

だが、問題は、会社から無駄を全部排除したら、イノベーションも全部排除されてしまうことだ。

あなたの会社は、社員が自分の中核的な職務にはあまり関係のないアイデアにどれくらいの時間を充てているか、調べているだろうか。
「無駄」が、コスト効率と同じように制度化されているだろうか。


「目標管理の教科書」
ビジョンと戦略の具体的な内容は、各社各様で、これが正解だというものは存在しない。
しかし、絶対外してはならない押さえどころが1つある。

それは「売上」に関するビジョンと戦略である。
売上がなければ、利益は出ず、給料も税金も払えないからだ。

では、売上とは何なのか。
「顧客満足の結果」である。

どの企業も、何らかの満足を顧客に提供するから、売上という果実が手に入る。
だから、顧客満足は徹底的に追求すべき経営の最重要テーマである。

しかし、思いつきや場当たり的な顧客満足では、あまりにも効率が悪すぎる。
組織能力としての蓄積もままならない。


「やっぱり変だよ日本の営業」
ビジネス環境と社会条件は変わりました。
しかし、相変わらずこれまでの常識で行動している人は意外に多いのではないでしょうか。

「営業は泥臭い仕事だ」
「売れてなんぼの世界」
「理屈はいらない」
「売れた奴にインセンティブを与えれば自然に売れる」

高度経済成長期に押しの強さでトップ営業マンになった人たちに、このようなタイプが多く見られます。
モノのない売れない時代では顧客がモノを買いたいだけではなく、営業マンもモノを欲しがりました。

インセンティブを与えれば売れるほど、今の世の中は単純ではありません。
もしこの常識が成り立つのであれば、どこでも売れることになります。


「うちの社長は、なぜ「ああ」なのか」
経営者の頭が「売り」にしか行っていないと、売った後のフォローやサービスがおろそかになってしまうのです。
そして、ここがおろそかになると、せっかく一度は買ってくれたお客さんが離れていってしまいます。

このタイプの社長の一番危険なところは何かというと、目先の売上ばかりに目を奪われて、長期的な視野がまったく欠けているということです。

会社に将来的なビジョンがないと行き当たりばったりの経営となり、会社が落ち着きません。
毎日、何かに追われているように、全力で売りに行くことになります。

また、社長が第一線に立って会社の売上アップに貢献するため、会社の中で社長が一番忙しい人になってしまいます。
当然、社員も気を抜くことはできません。

全員が一丸となって「売り、売り、売り!」で、邁進していくような体質ができあがっていきます。

こういう会社は一見、活気があっていいのですが、しかし人間はずっとハイペースで仕事をし続けることはできません。
どこかで疲労がたまってしまって、過労で急に倒れたり、あまりにきつくて辞めていく人もちらほら出て来るわけです。

大量の社員が辞めていったり、急激な売上の落ち込みで、昨日までの活気がウソのようにいきなり倒産してしまうといったことも珍しくありません。

そうならないためにも、事前に予兆をつかみ、しっかりとした対策をとる必要があります。


「ゼロのちから」
お金だけでやる気になる人はほとんどいません。
ほとんどの人たちは、人生からお金以上のものを得たいと思っている。

私たち社会は変わっているのに、企業はそれに追いついていない。
言いかえれば、企業を測る尺度として利益は唯一のものでも真っ先にくるものでもなく、必ずしもお金がいちばん大切ではないということだ。

多くの企業はこれに気づかないか、理解できない。
金銭報酬へのこだわりは、営利企業に深く根をおろしている。

全員が金で動くと信じて(そしてそのように行動することで)、社員のやる気を削ぎ、生産性を損ねている。


「リストラなしの「年輪経営」」
人件費はコストではなく、目的である。
報酬を減らして、会社の利益を増やしても、事業を起こした意味がない。

残念なことに最近は、付加価値を高めるという大変な労力のかかる仕事をおろそかにして、コスト削減という手っ取り早い方法に走っているように思える。

本来リストラというものは、最後の最後になって、どうしようもないという状態に陥った末に、やむなく手を付けるもの。
それは経営者として持つべき最も基本的な倫理観と言えるのではないか。

成果主義や能力給を導入しても、それが良かったと感じる社員は、思いのほか少ないのではないだろうか。
この世の中、給料が抜きん出て高くなったり、地位がポンポンと上げるような人がそうそう出るわけではない。

一時は、いい目をみた人も長くは続かない。
むしろ、ギスギスと管理されて、尻を叩かれている気分に陥る人が多いと思う。

彼らが望んでいるのは、穏やかな人間関係の中で、自由にのびのびと仕事ができる職場である。

社員のモチベーションを上げるのは、お金や地位ではなく、

「働いて、去年より良くなった、去年より幸せだ」

と感じられることだと思う。

去年より今年、今年より来年の方が、幸せ感が増してくるような会社である。
そんな会社にいれば、自然とモチベーションは上がって来る。


「なぜこの会社はなぜモチベーションが高いのか」
社員のモチベーションを低下させる要因として、賃金や処遇に対する不満が生じていることも大きいといえます。

この場合、気をつけなくてはならないのは、よほどひどい企業は別にして、ここで言う不満とは、賃金や処遇そのものに対する不満ではないと思われます。

というのは、賃金や福利厚生は他社と比較し、はるかに低いのに、社員のモチベーションが高い企業、その結果としての業績の高い企業が多数存在しているからです。

おそらく、この場合の不満は大きく2つあると思います。
一つは賃金のシステムの問題であり、もう一つは評価のシステムに関する問題です。

職場の人間関係の悪化も、社員のモチベーションを悪化させる大きな要因です。
職場の人間関係がギクシャクしていては、社員のモチベーションが高まるなどとは到底思えません。

それもそのはず、職場の人間関係が気まずくなればコミュニケーションの機会は少なくなる上、そればかりか、他の社員を疑心暗鬼で見てしまうことにもなりかねません。

よりひどいケースでは、それが原因で労働災害が発生したり、貴重な社員の離職を増大させてしまうことにもつながりかねません。


「組織力を高める」
自分のチームメンバーが成長すると自分も楽になれる、といった打算的な目的だけがマネジャーのインセンティブとなっているような場合は、その浅はかな考えが容易にメンバーから見透かされることになり、メンバーはついてこない。

組織は、放っておくと徐々に腐っていく傾向がある。
組織の活力がなくなり、組織内に無意味と思えることが増殖する。

最終的には、なんらかの問題を起こし組織が消えてなくなってしまう場合も多い。
かつての優良企業が産業再生機構入りするケースなど、そのような事例に事欠かない。

本来やらなければいけないこと、耳を傾けなければいけないことから離れた「無意味なこと」が増えてきたら、組織の腐敗が始まっている可能性があるので要注意である。

組織が完全に腐敗しきってしまうと、「組織力」を取り戻すたの努力は並大抵のものではない。

組織のライフサイクルと並んで、組織の腐敗は、好むと好まざるとにかかわらず、組織に忍び寄る影であり、組織にとって「宿命的」なものである。

組織は個人一人ではできないようなことを達成する力を生み出す一方で、組織であるが故に抱える本質的な課題もあるのだということを認識しておかなければならない。


「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。」
評価基準は管理職層が参考にすべきものであり、管理の方法になってはならない。

しかし、インセンティブ制度に評価制度を絡めて懲罰的な効果を持たせると、評価指標そのものが目的になってしまうのだ。

我々は、目標の評価基準にもとづいて報酬や罰則を設定してしまうと、社員は会社の利益を犠牲にしてでも自己の利益を追求しようとするということをわかっていなかった。

社員がなりふり構わず目標を達成するように仕向けてしまったのだ。

もうひとつの勘違いは、従業員はおとなしく目標に従い、罰を受けても制度に逸脱した行動をとることはないと思っていたことだ。

個人の目標が会社の目標と相反する場合でも、社員は大儀のために行動し、詐欺など破壊的行為には及ばないだけの正しい判断力を持ち合わせているものと想定していたわけだ。

だから、営業職員が顧客に対し無理やり商品を売りつけたり、バスの運転手がバス停を無視して通り過ぎたりしたことは、企業の幹部にショックを与えた。

けれども機械のようにこき使われるばかりでは、自分たちで判断を下す余地などない。

具体的な指示と数値目標を与えられ、つべこべ言わずに徹底的に、つまりは何も考えずにただ目標を達成するよう命じられるこのシステムそのものが、人間の判断力を失わせるように設計されているのだ。

評価基準についてしっかりとわきまえておくべきなのは、指標は手段であって目的ではないことだ。
数値目標が悲惨な結果を招いているのは、それが会社にとって本当に重要な目標に取って代わってしまったからだ。

多くのビジネス問題の根本的な原因は、ビジネスとは「人」であることを見失い、ビジネス問題とそのソリューション(解決策)について間違った思い込みを持ってしまうことだ。

「数値目標やインセンティブ報酬はかえって逆効果で、社員が悪い行為に走る可能性がある」と指摘すると、こんな反応が返ってくる。
「ほかにどうやって社員にプレッシャーをかけてがんばらせる方法がある?」

いったいなぜ社員を追い詰める必要があるのか?
とことんまで追い詰められたら、たとえどんな手を使ってでも、要求された目標を達成しなければならなくなる。

健全な会社をつくってその成長を維持するのと、スプレッドシートの数字をもてあそぶのとは大違いだ。


「ワークライフシナジー」
日本人が働き方を変えるにあたって、一番の障害は何かと聞かれれば、個人の意識を変えることにあると答える。
頭ではわかっていても、みんなが働いているときに、自分だけ人と違うことをしているというのは、なかなか難しいからだ。

また、何が自分の人生にとって大切なのか。
また、その大切なものは明らかであっても、何を優先すべきなのか、それを選択するのは容易ではない。

効率ばかりを意識していると発想する力を養うことができない。
効率よく働いて生み出された時間に新しい仕事を入れてしまってはもとも子もない。

これが、一生懸命頑張ることをモットーとすることの問題なのかもしれない。
忙しくなると、そのことで満足してしまい、スケジュール表の穴を埋めていないと落ち着かなくなる。

効率のよい働き方の延長線上に豊かな発想は生み出されない。
生活にゆとりがないと新しいアイデアが浮かばない。

ところが、日本の社会では、長い時間働く社員の方が定時に帰る社員よりも会社への貢献が大きいと考えられている。
そして、長い間働くことのインセンティブがいろいろな仕組みの中に組み込まれている。

日本人の労働時間が諸外国と比較して長いことはすでによく知られている。
特に特徴的なことは、それが若い人に集中していることである。

欧米的なワークライフバランスが即座に日本の職場に導入できないのは、日本では長期の雇用を前提とした雇用制度が作られており、賃金体系や昇進の仕組みなどが欧米とは異なるからである。
それゆえに、ワークライフバランス施策に多くの人が関心を持つものの、それが果たして日本の職場にすんなりと受け入れられるものなのか、疑問の声が上がるのである。

さらに、この制度を補完する形で、税制度や年金制度ができあがっている。

なぜ労働時間の短縮を含む生活大国が、日本で実現できなかったのか。
その答えは、企業がそうしないでも済む抜け道を用意してきたからである。


誰も幸せにならないシステム
改めて思ったのは、「激安競争の限界」という問題だ。
何事にも、「適正価格」というものがある。

過当競争のため、価格が安くなればなるほど、現場で働く人の労働条件は引き下げられる。
「安さ」の皺寄せは、結局は「激安」の給料と非人間的な長時間労働という形で現場の個人に押し付けられる。

同時に、客の安全と命も危険に晒される。

一方で、非正規労働が増え、生活苦に喘ぐ人は増加の一途を辿っている。
そんな層にとって、「激安」を謳うあらゆる商品は、既に生活に欠かせない存在となっている。

もうこんな競争が、あらゆる業界で20年以上続いているのだ。
その中で、働く人はどこまでも安く買い叩かれ、安全や健康や命は置き去りにされてきた。

今、心から思う。
いい加減、こんな「誰も幸せにならないシステム」は終わりにできないのか。
もう、システムは破綻しているのだ。

多くの消費者が求めてきた、「安さ」と「便利」。
が、安いものには裏がある。

どこかで誰かが命を削るほどの無理をしている。
「安い」と喜ぶ影で、私たちはたぶん誰かを踏みにじっている。

消費者としての在り方を、一人一人、本気で問い返すべきなのだと思う。
そこからしか、「誰も幸せにならないシステム」を、終わらせることはできない。


格安は悪と言われているけど
格安は悪と言われているけど、僕だって、去年車買った時、数店回って一番安いところで買ったし、一昨年のリフォームの時は、やはり数件見積もって一番安いところにした。

よく大企業が中小企業にコストカットを要求して酷いみたいな話とかあるけど、一番安さを求めているのは、僕達、消費者なんだよね。

単に安さだけを求めるのは、止めた方がいいんだろうけど、やっぱり難しいだろうなぁ。

じゃあ何で我々が安い物を求めるかというと賃金安いからだよね。
一般労働者の賃金が上がることはないわけで、生活水準も結局低い所に落ち着いちゃうんだろうと思う。


「日本の「労働」はなぜ違法がまかり通るのか?」
何をどう頑張れば評価されて、賃金が上がるのか?

そうした制度が整っていて、労働者がよく理解していないと、労働モチベーションは上がらない。
もちろん、その約束を経営者が守ってくれないと、やはりモチベーションは上がらないだろう。

適当な理由でいつ解雇されるかわからないという場合があるとすれば、頑張って会社に貢献しようという気持ちにはなれないだろう。

報酬の制度や、雇用を維持する制度は、会社への長期的な貢献を引き出す方法なのである。
あるいは、どんな場合に懲戒が可能になるのかも、重要だ。

能率を上げるためには、評価を下げることが必要になる場合もあるかもしれないが、それが納得のいかないものなら、逆に士気を下げてしまう。

非正規雇用は、同じ企業でも「メンバー」としては扱われない。
このため、正社員と非正社員の格差・競争関係が形成される。

パートだから賃金が半分以下でもいい。
だったら、パートにどんどん切り替えていこう、となる。
逆に、「正社員なんだから、どんな命令にも従う必要がある」「正社員は責任が重い」という論理へもつながる。

年功賃金や終身雇用がなくなった今、なせ、「仕事」の自律性は回復しないのか?
年功賃金でも終身雇用でもないのに、「会社」への従属はむしろ強まっている。

だから、ブラック企業もまかり通る。
それは、仕事の中身を無視した結果、「労働力の商品化」が社会に浸透したからだ。

自律的に働くことが「働き方」の観念のなかから消え去ってしまった日本では、もはや「見返り」を与える必要もない。

黙っていても、労働者はサービス残業も、過酷な労働も引き受ける。
それが日本では「当たり前」だからだ。

日本の企業社会では「下請支配」と呼ばれる産業構造が以前から有名だ。

親企業の社員の身分は保証するが、下請の場合には保証しない。
賃金が2倍違うことも、珍しくはない。

特に、この数十年は、部門ごとに「分社化」するなどして、大企業の守られている正社員の増加が減少してきた。
そして、「分社化する」「下請に仕事を回す」ことで、大企業そのもののリストラも容易にしてしまう。

こうして「終身雇用」も幻想だったことが明らかになってしまった。


なんで経営者をやらないの?
経営者と従業員という関係、雇用契約事態が、もう、破綻しているように思う。

経営者の仕事量は途方もなく激務だが、雇用者は自分達を低賃金の奴隷だ!と経営者に文句を言う。
この仕組み事態が終わっている。

もっと、負担を平等に背負う方法はないものだろうか?

経営者の多くには、もともと、人々の生活や雇用を守ろう、という志があって苦労の末に会社を立ち上げるわけだけれど。
仕事の場を作り出しても、「何で経営者の為に働らかなあかんねん!」と言われてしまう。
最近では、「経営者と同じだけかそれ以上の給料をよこせ!でないと社員の指揮がさがる!」とも言ってくる人がいる。

経営者と同じだけの給料が欲しければ、経営者と同じだけの労働、負担、責任、リスクなど持たないといけないし、それにそもそも、従業員の士気はあがるかもしれないが、全世界の経営者の士気がさがる。

そもそもなぜ、経営者をやらないのだろう?
経営者以上に働けるなら、そもそも経営できるでしょう、と。


経営者として、社員の「採用」について考える
人を雇うということには、大きな責任が伴う。

社員を雇えば、毎月給料を払わなければならない。
会社の業績なんてお構いなしに、契約した分のお金は払う責任がある。
給料が払えないなら、それはもう会社を潰すしか無い。

人を増やせば増やすほど、コミュニケーションコストは増えていくし、人件費を定期的に払っていくことは、創業間もなく不安定な状態の会社には荷が重い。
人件費は一人雇うごとに線形で増えていくが、アウトプットは人を増やしても線形では増えない。

勘違いされないように付け加えておくと、「会社を常に一人でやれ」と言っているわけではない。

創業間もない会社で仕事をする場合には、どうしてもリスクがつきまとう。
これらのリスクを正当化するには、給料ではなく成功時の大きな見返りを約束することが絶対に必要だ。

逆に、リターンの保証がない状態で、人を働かせるのは「搾取」や「詐欺」である。
経営という観点からも、雇った人への責任という観点からも、「採用」にはとことん慎重にならなくてはならない。

強力な経営基盤ができるまでは、しばらくは手を出さないほうが得策だ。


「やりがい」とは何なのか
仕事の「やりがい」とはそもそも何なのか。
これを客観的に定義することは困難だ。

「あなたは仕事にやりがいを感じていますか?」と質問した時に各人が考えている「やりがい」と同じだという保証はない。
言ってしまえば、「やりがい」は人の数だけ存在する。

それなのにも関わらず、仕事と聞けばすぐに「やりがい」と条件反射的に考えるのは、仕事というものの捉え方を歪める原因にもなりかねない。

「やりがい」というのは便利な言葉で、たとえば「つらい仕事」というのも「やりがいがある仕事」と言い換えれば美しく聞こえるし、「やりがい、やりがい」と連呼することで給料が安いとか法令遵守が行き届いていないとか、そういう問題を覆い隠すことにも使うことができる。

「やりがい」について語るのは、「幸せ」について語るのと同じぐらい難しい。
「幸せ、幸せ」と言っているとあやしい新興宗教に引っかかりかねないのと同じように、「やりがい、やりがい」と言っているとブラック企業に騙されかねない。

「やりがい」という評価軸を絶対視することからの脱却が、これからの働き方を考える上では、不可欠なのだと思う。


「ブラック企業」がここまで蔓延する根本原因
職務が無限定ということは、欧米の一般的な雇用形態と異なり、自分の仕事と他人の仕事の区別がなく、どのような業務もこなすということを意味する。

また、職務内容だけでなく、労働時間に対しても、会社には強い権限が与えられている。

労使協定さえ結べば残業時間の上限はほぼない。
「どのような仕事を」「どのくらい」命じられるのか、ほとんど制限がない。

労働者は、配置転換による新規業務に対して素早く適応する能力と、プライベートを犠牲にしてでも会社に尽くす生活態度までもが求められることになり、その全てが会社からの評価の対象となる。

ブラック企業は、日本型雇用システムに対する社会の信頼を逆手に取っている。

伝統的な日本型雇用システムを運用する企業からブラック企業が引き継いだのは、「従業員の組織への貢献は無限定」という意識だけ。
彼らは、日本型雇用システムの最大のメリットである「広範な指揮命令権」のみを享受する。

一方で、見返りとして本来あったはずの長期安定雇用と、労働時間に見合った報酬については、

「経営者目線がなければ、労働者も生き残れない」
「仕事の報酬は、お客様の笑顔だ」

といったもっともらしい理由をつけ、まるで存在しないかのようにふるまう。
彼らは労働者全員を長期安定雇用をするつもりなど最初からない。

それにもかかわらず、長時間の時間拘束は大前提。
その上で、10万円台前半まで基本給を下げた上で数十時間分の固定残業代制度を導入したり、少額の手当を出すことによって、表面上は「普通の額」の給与であることを偽装する。

さらに労務管理を意図的に放置して正確な勤務時間を不明にしたりすることもザラだ。
こうした脱法とも言えるテクニックを駆使して、実質的な時給を最低賃金を下回る水準にまで吹き飛ばしている。


「ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪」
ブラック企業が若者を大量に募集するために行う手法が、「固定残業代」「定額残業代」である。
残業代を「基本給」に含めることで月給を水増しし、誇張するのである。

この手口は普通の人は気づきづらいため、そういう意味ではかなり悪質と言える。
文字通り、残業代を支払わないためにこれらの仕組みは導入される。

残業代は基本的にどんな場合であっても働いた時間通りに支払わなければならないが、事実上その規制をすり抜けてしまおうという脱法行為が「固定残業代」である。
これによって、本当は低い給与を多く見せかけ、ブラック企業に大量に若者を呼び込む。

日本の職場では残業代未払いは古くから「サービス残業」として容認されてきた。
そのため、「固定残業代」「定額残業代」をきちんと合法に運用しなければならないという圧力は働きにくい。

ある会社は、100時間分の残業代や深夜労働、休日労働の割増を全て予め基本給に組み込んで支払っていた。
働いている労働者は、そんな仕組みになっているとは思わないため、「給料は良いが仕事がきつい上に残業代も出ない」という程度の認識しかない。

いざ残業代を請求しようとして初めて、会社側の策略に気づくのである。


労働時間の規制改革
日本的な企業ってのは、おおよそ給料は横並びだ。

できるやつは多少給料に色がついてるだけで、間違っても20倍ももらえない。
せいぜい出世が早くなる程度だろう。

生産性が低い労働者が、それでも会社に貢献できる(とされている)ことがあり、それが残業なのだ。

「わたしは会社に対して忠誠心高い社員です」というメッセージを、労働者が周囲に示すために行われている事実ってのが現実じゃなかろうか。
「給与はちゃんと下さい。なんといってもわたしはこんなにも忠誠心が高いのですから」ということであり、これが「日本の労働は生産性が低い」の光景だ。

「労働時間の規制改革」に反対しているのは、「自分がいままで寄生していた」自覚があるからだ。
「仕事ができなくても、上司の嫌味を聞きながしながら長時間デスクに座ってればお給料がもらえる既得権益」を守りたいだけなんだ。

もちろんそんなことをしてれば会社も国も傾くけどな。


長い日本の労働時間は何が原因か
わが国の労働慣行のほとんどが、実は、1940年体制とも呼ばれる戦後の高度成長期に確立されたものである。

そして、このガラパゴス的な終身雇用―年功序列体制の下では、ともすれば軍隊的な上意下達システムが出来上がり、ひたすら部下の忠誠心が試されることになりやすい。

現行の法体系の下では、法定労働時間を超えた残業には割り増し賃金が支払われるので、「つきあい残業」には、インセンティブもまた働くことになってしまう。

これでは残業時間が長くなることは当然ではないか。
そこには生産性の向上という視点の入り込む余地が、そもそもないのだ。


「ブラック企業はもはや生き残れない」理由
企業にまつわる報道を見ていると、「企業と労働者のパワーバランス」が変わりつつあると感じる。

長時間労働や低賃金など、労働者にとってネガティブな状況を放置してしまうことは「どこでもやってること」から「リスク要因」となりはじめている。

たとえば、「長時間働けない」という状況は、育児中の女性特有の事象ではない。

バリバリ現役のフロントで成果を挙げている40代の男性管理職クラスに、「親の介護」という事情が発生してきている。
彼らも同じく、「長時間働けない」事情を抱えた人々だ。

これまでのように、長時間労働、強引な転勤、本質的でない目的のために頻繁な出張などが会社への忠誠心をはかる材料であり、昇進条件なのであれば、もう今後だれもその仕事を担えなくなっていくだろう。


「社員が「よく辞める」会社は成長する!」
会社側からは、自社の業務内容や企業業績、それにこれまでの採用実績など紋切り型の説明がなされる。
そして、どんな学生を求めているとか、入社したらどのような分野で活躍できるかといった、通り一遍のことが話される。

あとで学生たちに「ほんとうにあんな話を聞きたかったのか?」と問いただすと、多くの者が首を横に振る。

学生たちがほんとうに聞きたいのは、給与の手取りはいくらになるか、残業がどれほど多いか、有給休暇がどれだけ取得できるか、社員の離職率はどれくらいか、職場に異性がいるか、パワハラなどがなく楽しく働けるか、といった俗っぽい話なのだ。

そもそも説明会で会社の採用担当者が話すような内容は、会社のホームページにも書いてあるし、聞かなくてもだいたいわかっている。

そして、キャリア志向の学生がいちばん知りたい情報、たとえば「将来の転職や独立に役立つ能力が身につきますか?」「スピンアウトする人はどれくらいいますか?」「円満に中途退職できますか?」というようなことを質問するのはタブーだ。

そのため、説明会では当たり障りのない問答ばかりが繰り返され、セレモニー化してしまっているのだ。
採用面接でもそれは同じで、学生から「10年で退職するつもりです」などとは口が裂けてもいえない。

学生たちは、心にもない長期にわたる会社への忠誠と帰属意識を懸命にアピールし、企業側はたとえそれが白々しいとわかっていても厳しく追求しない。
まるで格式ばったお見合いか、へたな芝居を観ているようだ。

そうしたホンネに触れない採活、就活は、企業と学生に不幸な結果をもたらす。
一生を左右するだけに損失は大きい。

もちろん、問題はそこで終わらない。
「タテマエの採活、就活」から、ホンネを押し殺した雇用関係がはじまる。


新卒の私がベトナム就職を選んだ理由
そもそも、「日本の良い大学を出て、良い会社に入り、定年まで安定的に生きる」という日本のお決まりのようなレールに乗る必要性を全く感じていませんでした。
日本の就職活動のシステムも疑問しか浮かび上がりません。

安定した仕事内容で安定した給与をもらうというのは、大半の人が憧れる生活かも知れません。
しかし、会社から離れた時に、自分の力で稼いでご飯を食べることができるのでしょうか?

外の世界に出たら、会社のなかでの肩書きはほとんど役に立たないと思っています。

世は平成。
誰でも海外に自由に出られるようになりました。
海外からの留学生や旅行者もかなり多くなりました。

にもかかわらず、いつまでたっても日本に拘り続ける日本人がいます。
もちろん海外に出る人が偉い、なんて言いませんし、言えません。

ただ、選択肢の数が変わります。


「仕事が残ってても休みます」経済大国ドイツの人の働きかた
ドイツはEU最大の経済大国として発展を続けながら、ドイツ人は休日をしっかりと楽しんでしる。

ドイツでは、連邦休暇法で社員に対して最低24日間の年次有給休暇を義務づけている。
しかし、多くの会社では連邦休暇法より6日多い年間30日に設定している。
ドイツでは、4週間続けてバカンスを取るのは珍しくない。

断っておくが、病欠は有給休暇とは別の休暇である。
病気のときは、病欠を取ればよい。
医師の診断書があれば、最長6週間までは病欠でき、その間は給料も支払われる。

有給休暇は、あくまでも楽しみ・休養のために使うものなのだ。

ひとつの業務を常に2〜3人で担当している。
その上で、仕事内容は他の社員にわかるように共有化している。

長期休暇を取るのは当然の権利なので、取引先の担当者が休暇で不在でも、怒ったりはしない。
数週間後まで待つことになっても、休暇だから仕方ない、と考える。

ドイツ人にとっては、早く帰ってプライベートの時間を過ごすことが大切なのである。
だから、同僚と飲みに行くこともない。
アフターファイブは、プライベートだからだ。

一言で言うなら、会社は仕事の場。
仕事を定時に終わらせて、結果を出すのが評価につながる。

逆に言えば、夜遅くまで残るような働き方をしていると、評価が下がる。
また、自分の仕事も明示されているため、ドイツ人は自分の担当以外の仕事は、やらない。

目的を遂行するために、無駄なことはしない。
そう、ドイツ人は合理的なのだ。

仕事を全うするからこそ、休暇もきちんと取りたい。
合理的なドイツが大切にするワークライフバランスなのかもしれない。

メンタリティの異なる日本がそっくり真似すればいいとは思わないが、ドイツを参考にしながら、日本に合ったよりよい働き方を模索できるといいだろう。


「びっくり先進国ドイツ」
日本の企業では、チーム精神やグループ全体の利益が何よりも重視されるが、ドイツでは会社でも、個人の利益を守ろうとする傾向が強い。

日本の多くの企業では、大学や高校を卒業した若者が入社するのは、ほとんど4月1日と相場が決まっている。
だがドイツには、このような特別な日はなく、入社式も存在しない。
この国では全員が日本で言う「中途採用者」だからである。

1年を通じていつでも企業の面接を受けられるし、大学生の会社訪問のような仕組みもない。
従って、中途採用者とそうでない社員の区別もない。

就職の細部を見ると、ドイツが契約社会であることがよくわかる。
この国ではすべての社員が、会社と労働契約を結んでおり、給与や条件などは、会社と社員が交渉で決定する。

彼らは、会社と社員が相互の権利と義務を明確にするには、契約書が不可欠と考えているのだ。
すべては交渉から始まるのが、ドイツの会社生活なのである。

ドイツでは他の企業に移る人は、日本よりも多い。
とりわけ特殊な技能を持った人は、給料を引き上げるために、他の企業へ移ってより高い役職につくというケースが多く見られる。

毎年の昇給のスピードも、社員一人ひとり異なる。
上司も社員が満足しないと他の企業へ行ってしまう恐れがあることを知っているから、その社員を失いたくないと思ったら、大幅な賃上げに同意する。

また、ドイツでは労働基準法が日本よりも厳密に守られている。

たとえば、基本的に管理職以外の社員は、1日10時間以上働いてはならない。
また原則として夜8時以降の労働、日曜日や祝日の労働も禁止されている。

労働基準監督署が抜き打ちで労働時間の検査を行うことがある。
この検査によって、企業が組織的に社員を毎日10時間以上働かせていたり、週末労働をさせたりしていることがわかると、多額の罰金を科されたり、人事部長が逮捕されたりする恐れがある。

このため、どの企業でも社員の労働時間には神経を使っている。
もともと、企業に対する忠誠心は日本ほど重視されないので、夜遅くまで残業をするだけでは、あまり評価されない。

みな労働時間を短くしようとするので、ドイツ人の仕事への集中度は高い。
会社ではあまり無駄話をせず、わき目もふらずに仕事をする。

ドイツでは公私混同を嫌い、会社と個人の時間をきっちりと区別する人が多い。
朝早くから働き始める人が多く、朝7時からオフィスで働き始めて、午後3時には家に帰るという人もいる。

企業や役所に勤める人には、法律や労働協約で30日間の有給休暇が保証されている。
会社員や公務員は、ふつう週末には働かないので、丸々6週間の休みである。

残業時間を消化するための代休や、前の年に消化し切れなかった休暇まで考慮に入れると、1年の有給休暇が50日、つまり10週間近くになることも珍しくない。

ドイツでは上司も含めて全員が交代で休むので、気兼ねもなく、長期休暇は当たり前になっている。
6週間は、働かなくても自動的に給料が出るのだから、休まないのは損なのである。

しかも、上司の顔色をうかがいながら休暇を申請する人は誰もいない。
30日間の休暇は、すべて取るのが当然の権利と見られており、みな堂々と休みを取る。
休暇申請書に休む日を記入して、上司のサインをもらうだけである。

いや、むしろ従業員が休暇を全て消化しないと、管理職は事務所委員会(組合に似た労働組織)から「なぜ社員を休ませないのか」とにらまれる恐れがあるので、むしろ上司は社員がきちんと休暇を取るように奨励する。

休みを取らないで働いても、「やる気がある」とか「忠誠心がある」と思ってくれる上司はいないので、意味がないのだ。

仕事だけではなく個人の生活を大事にするドイツ人にとっては、休暇はかけがえのないものなのだ。
有給休暇にしても、ドイツの制度の根底にあるのは、

「個人の生活を楽しむ権利を与えた方が、社員もリフレッシュされて、会社のために働く意欲が増す」

という発想である。

ドイツでは、仕事のしすぎで身体を壊しても、損をするのは自分だけという考え方が浸透しており、ほとんどの市民には過労で死ぬことは考えられないのだ。
大多数のヨーロッパ人にとっては、働くことは苦痛であり、できればやらないで済むにこしたことはないのである。

そういう人にとっては、職場で好きでもない人々と顔を突き合わせなくてはならないことは、ほとんど耐え難いことだが、金を稼ぐためには我慢せざるを得ない。
したがって6週間の休暇は、多くのドイツ人にとって、自己を取り戻すための貴重な時間なのである。

あるドイツ人がこんなことを言った。

「あなたたち日本人は働くために生きているように見えますが、我々ドイツ人は休暇を楽しむために働いているのです」


「休むために働くドイツ人、働くために休む日本人」
そもそも人はなぜ労働するのだろうか。
こんな質問を日本人にすれば当然、「生活していくために当たり前のことだ」という答えが返ってくるにちがいない。

しかし、ドイツ人は真剣に議論している。
いかに自分たちの労働力を「売り」、その代償として社会保障や休みを増やすかについて知恵を絞ってきた。

労働の持つ意味。
それは単に報酬であるということでもなく、時間をつぶすためのものであるわけもない。

「仕事は義務」であるという人は減り、「仕事は面白い、しかし、仕事以外の時間に仕事のことで煩わされるのはいや」「人生を楽しみたい」と答える人は増える一方である。
また、「毎日、同じ仕事をするのは面白くない」と答えたのは40%にも達している。
「従順」と「上司に従う」という点は、わずか8%になってしまった。

仕事は自分の強い意思によって自分で決める。
また「仕事は単に稼ぐこと以上の意味がなければならない」というこの願いは、長い間自明の理でもあった「生きていくために働かなければならない」ということから乖離しているといえるだろう。

仕事を自己実現のための手段と見る人が多くなってきたのは、衣食足りて・・・の裏返しなのだろうか。


「この世でいちばん大事な「カネ」の話」
働くっていったい、どういうことだと思う?
子どもから見たら、大人の世界はすごくたいへんそうに見えて、何だか「感じ悪い」って思ってるかもしれない。

でもね、身近な大人に聞いてみてごらん。
初めてお給料をもらったときのことや、お風呂つきの部屋に引っ越したときのことを。

きっと、ちゃんと覚えていると思うよ。
だってそれは、働いて稼いだ自分のお金でつかんだ「しあわせ」だから。

親から「あなたは食べさせてもらってるんでしょ」「学費払ってあげてるじゃない」と言われちゃったら、もう何も言い返せない。
子どもって、うんと不自由だよね。

そう考えると、大人って、自分が働いて得た「カネ」で、ひとつひとつ「自由」を買っているんだと思う。
単純な話、働いてお金が稼げるようになれば、できることや行動範囲だって広がっていくからね。

「豊かさ」が実現してしまったら、今度は「人はなぜ働くのか、どうして働かないといけないのか」ということが悩みとして出現してしまった。

これはちょっと簡単には答えが出ない悩みだよね。
でも、こんなふうに考えてみたらどうだろう。

「やりたいことがわからない」、その問いに向き合うためには「カネ」という視点を持つのが、シンプルに見えてくるものがあるんじゃないか。

一方に、お給料は結構もらえるんだけど、でもそれはガマン料も入っている仕事がある。
そしてもう一方に、そんなにストレスはなさそうだけど、ただ食べていくため、生活費を稼ぎ出すための仕事がある。
こっちは、まあ、お給料はそんなにもらえない。

あんまりストレスが大きい仕事は、いくらお金をたくさんもらえたからって、しまいには心と体を壊してしまう。
家に帰っても眠る暇もないような仕事をしていたら、家族だって心配だし、大変だよね。

「自分がやりたいことがわからない」という人は、やみくもに手探りをするよりも、このふたつの「あいだ」に自分の落としどころを探してみたらどうだろう。

それでも、もし「仕事」や「働くこと」に対するイメージがぼんやりするようならば、「人に喜ばれる」という視点で考えてみるといいんじゃないかな。
自分がした仕事で人に喜んでもらえると、疲れなんてふっとんじゃうからね。

人が喜んでくれる仕事っていうのは長持ちするんだよ。
いくら高いお金をもらっても、そういう喜びがないと、どんな仕事であれ、なかなか続くものじゃない。

自分が稼いだこの「カネ」は、誰かに喜んでもらえたことの報酬なんだ。
そう実感することができたら、それはきっと一生の仕事にだって、できると思う。


「仕事の報酬とは何か」
「なぜ、こんなに一生懸命、働いているのですか」
「そんなに一生懸命働くことによって、どんな報酬を得ているのですか」
「あなたにとって、仕事の報酬とは何ですか」

この問いに対して、いかなる答えをするか。
それによって、これから歩むであろう道が分かれる。

「仕事の報酬とは何か」と問われると、しばしば、我々は、「給料」や「収入」というものを頭に描いてしまう。
たしかに、それも「仕事の報酬」。

また、ときに、我々は、「役職」や「地位」などを考えてしまう。
たしかに、それも「仕事の報酬」。

しかし、これらは、いずれも、「目に見える報酬」です。
そして、我々は、いつも、「目に見えるもの」に目を奪われてしまう。
「目に見えるもの」だけを見つめてしまう。

しかし、仕事には、実は、「目に見えない報酬」がある。
目には見えないけれども、決して見失ってはならない、大切な報酬がある。
「収入」や「地位」とは違った、それらとは決して比較することのできない大切な報酬があります。

「報酬」というものには、2つの種類があります。

一つは、「自ら求めて得るべき報酬」
一つは、「結果として与えられる報酬」

しかし、我々は、この2つを、しばしば混同してしまう。

なぜ、我々は、「働く」ということに、喜びを感じなくなってしまったのか。
それは、我々が、「目に見える報酬」に目を奪われ、「目に見えない報酬」を見失ってしまったからです。

例えば、「給料」や「収入」。
それは、言うまでもなく、使い果たせば、失われてしまう報酬です。

そして、「役職」や「地位」。
それも、その職を辞すれば、失われてしまう報酬です。

「収入」や「地位」という報酬はもとより、「能力」や「仕事」という報酬もまた、「いつか失われる報酬」なのです。

では、「決して失われぬ報酬」とは何か?
生涯を終える日まで、決して失われることのない報酬とは何か?


「未来の働き方を考えよう」
世の中には、ごくわずかな蓄えしかないのに、いとも簡単に会社を辞めてしまう人がいます。
なぜそんなことができるのかというと、彼らには、「ものすごくやりたいこと」「それさえあれば他には何も要らない」ということがあるからです。

彼らは、貯金があって生活に不安がないから仕事を辞められるのでも、能力が高くていつでも働けると思うから辞められるのでもありません。
そうではなく、自分のやりたいことが極めて明確だからきっぱりと決断できるのです。

「自分がやりたいことが明確になれば、人生はものすごく楽になる」ということです。
それが明確になれは、世間の常識に自分を合わせる必要がなくなります。

より有名な会社に入るとか、より高い地位を目指すとか、よりよいお給料をもらうということに、ほとんど意味がなくなるのです。

これから社会が大きく変わるなかで、やりたいことがない人の進む道は、どんどん厳しくなります。
人生が100年になり80歳まで働く時代になって、「50歳の頃から特に面白いとも感じなくなった仕事を、80歳まで30年間やり続ける」のは、50歳の頃から面白いと感じなくなった仕事を60歳までやればいいのとは、異なるレベルの苦痛です。

それでも、自分が心からやりたいと思えることがない人は、どこにも逃げられないのです。
組織にしがみつくしか生きて行く方法がなくなります。

「やりたいことがある・見つかる」というのは、とてもラッキーなことなんです。
心からやりたいと思えることさえ見つかれば、幸せに生きる道を見つけたも同然です。

多くの人がお金のない人生を不安に思います。
でも、それより辛いのは、やりたいことの見つからない人生です。

検討すべきは、「そんな生活で食べていけるだろうか?」ではありません。
確認する必要があるのは、「そんな生活を、本当に自分は楽しいと思えるのか?」ということです。
それさえできれば、他のことが満たされなくても幸せで楽しいと思えるのか、ということです。

そして、もしその答えがイエスなら、それは本当に幸せなことです。


「フリーエージェント社会の到来 ― 「雇われない生き方」は何を変えるか」
第二次大戦後数十年間は、個人が会社に忠誠を誓い、会社が個人に安定を保障するという単純な取引が、個人と組織とをしっかり結びつけていた。

人々は会社に言われた通りに働き、会社の方針に疑問を差し挟むことはほとんどなく、転職することもめったになかった。
会社は事実上、終身雇用と安定した給料、それにある程度決まった額の企業年金を従業員に保障した。

こうした関係は、企業における家族的温情主義(パターナリズム)の土台になった。
決して従業員を解雇しないことを約束していたのだ。
どんなに業績が悪化しても、どんなに景気が落ち込んでも従業員の雇用は安全だった。

しかし90年代に入ると、カーテンを開けて窓の外に目を向け始めた。
家の外は、思った以上に厳しい世界になっていた。
グローバル化の進展により新しい市場が生まれると同時に、新たな競争相手が生まれた。

しかし、戦略的なミスや決断の遅い官僚的な体質など、様々な社内の問題のおかげで、変化への対応はますます後手に回った。
「会社はファミリーだ」という考え方は、よく言って時代遅れ、悪く言えば幻想に過ぎないということに気づいたのだ。

調査によれば、働く人の4割は、いまより少しでも高い給料を払ってくれる会社があれば、現在の勤め先を辞めると答えている。
これは、驚くに足らない。

忠誠を誓っても安定が保障されない以上、忠誠心などというものはよく言って慈善行為、悪くすれば愚行でしかない。

いまや、新しい企業が数週間で誕生し、数ヶ月で投資家の出資を受けて、1年後には株式を公開しても不思議ではない。
しかし、企業が消えてなくなるのも同じようにあっという間だ。

組織の寿命はことごとく短くなっているのだ。
重要なのは、企業の寿命が短くなっているこの時代に、私たち一人ひとりの寿命は長くなっているということなのだ。

これからは、勤め先の企業より長生きするのが当たり前になる。
ひとつの組織に一生涯勤め続けるなどということは考え難くなる。

会社の中のオーガニゼーション・マン(組織人間)となり、人間関係も社内で閉じてしまっている生き方は、極めてリスクの高い働き方になっている。

給料はもちろん大切だけれど、いまや仕事の目的は金だけではない。
人々は、仕事に意味を求めるようになったのである。

意味のある仕事とはどういうものなのだろうか。


「機械との競争」
テクノロジーが人間のスキルや賃金や雇用に与えるインパクトにもっと注意を払わなければならない。
コンピュータは、これまで人間が独占してきた領域を侵食しつつある。

グローバリゼーションの加速は失業問題の別の要因ではなく、テクノロジーの高度化と浸透がもたらす結果の一つに過ぎない。

従来人間にしかできないと思われていた多くのことをコンピュータがこなせるようになっている。
コンピュータが人間の領分をこのような速度と規模で侵食しはじめたのは、比較的最近のことだが、その経済的な影響は計り知れない。

テクノロジーは先行し、人間のスキルや組織構造の多くは後れをとっている。
したがってこの現象を理解して影響を検討し、労働者が技術に対抗するのではなく、技術とともにこれからの競争を乗り切っていけるよう、戦略を練らなければならない。

これは差し迫った課題である。

いまやiPodから水着、金貨、サングラス、カミソリまで自動販売機で買える時代だ。
また商品情報は、店員に聞かなくても店に備えられたタッチスクリーンで入手できる。

自販機のコストは、実店舗と比べたら微々たるものだ。
インターネット通販の浸透に伴い、セールスマンや店員がいないところでモノを買うことにすっかり違和感がなくなっている。

人間の能力でコンピュータに脅かされないものは、何があるのだろうか。
人間がしかるべき比較優位を維持できるものは何だろうか。

-----


うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???

「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」

という方も、いらっしゃれば・・・

「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ〜 (〃▽〃) 」

という方も、いらっしゃれば・・・

「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」

という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?

ううーむ・・・

それぞれの言葉の意味がわからなければ
気づけないこと、気がつかないこともあるけど・・・

それぞれの言葉の意味だけを見ていても
それぞれの言葉の違いだけを見ていても

気づけないこと、気がつかないこともある


んじゃーないかな〜???

なーんて、感じません? (^^)

他にも、例えば・・・

「選択肢の広げ方や作り方とは?思い込みや方法論に走る前にできる事って?」シリーズ
対症療法とは?会社の現状そのものに対処しようとすると何が起こるんだろう?
現状把握ってどんな時に必要?何のため?対処方法や効果などとの関係って何だろう?
「根本的な原因とは?真因とは?今見えている問題って本当の問題?」シリーズ
「借金返すか廃業するかなど両極端な思考に走る前にできることって何だろう?」シリーズ
「顧客って誰のこと?どんな人や企業がお客様か考えると気づくことって?」シリーズ
下請けいじめが起きる、なくならない原因って何だろう?下請法とは?
売上が上がらない、利益が出ない、赤字になる本当の原因って何だろう?
「効果的な宣伝方法や販売促進のやり方とは?三方よしとの関係って何だろう?」シリーズ
「新規顧客開拓って何のため?誰のため?顧客流出などとの関係って何だろう?」シリーズ
新規事業、新製品やサービスの考え方とは?何のため、誰のために考えるんだろう?
「日本人の強みや弱みとは?外国人には真似できないことって何だろう?」シリーズ
「日本の良さとは?外国人や海外経験のある日本人が感じる事って何だろう?」シリーズ
「日本人の生産性が低い理由って?生産性の向上ってどういう事なんだろう?」シリーズ
「付加価値の源とは?誰が何をどうしたら付加価値が向上するんだろう?」シリーズ
「組織じゃないとできないこと、組織でなくてもできることって何だろう?」シリーズ
「やる気、向上心、チャレンジ精神などが持てる組織ってどんな組織?」シリーズ
人間にしかできないこと、コンピュータにできること、できないことって何だろう?
人材育成をマーケティング・コンセプトから考えると見えることって何だろう?
「人材採用とは?従業員を雇用するのは何のため?誰のためなんだろう?」シリーズ

などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)

ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・

まだ見えていないだけで・・・

意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお〜っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ〜♪


のかも〜???

なーんて、感じません? (〃▽〃)

どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?


ってなワケで、「意味が曖昧な言葉から、自律的に考えて行動してみる」カテゴリとしては、


「マーケティングとは?マーケティングに対する誤解って何だろう?」シリーズ


へ、続きまーす。(^^)/

ちょっと興味あるかも〜?
って言ってくださる方は、ゆるゆる〜っとお付き合いいただけると嬉しいです。(^^)

あ・・・、続きは気が向いた時に書く予定なので・・・
しばらく待ってやってくださいますよう、ひれ伏してお願い申し上げます(懇願)。
m(_ _)m





★★★ ネクストストラテジーは、三方よしの場づくり黒子サポーターです ★★★
「ヒト(組織)」「情報(IT)」を中心に、「三方よし経営」のお手伝いを行っております。(^^)/
「自律型人材育成」「組織力の強化や向上」などのご相談、
首を長ぁーくして、お待ちして申し上げております。 m(_ _)m



【追伸1】
「・・・で、答えは何なの???」と思った方へ


よろしければ、以下の記事も見てやっていただけると嬉しいです。(^^)

「自分で考えて行動する「自律型人材」が育つ組織って?」ブログについて
「答えが見つからない、探しても解決策が見つからない原因って何だろう?」シリーズ
「自分で考える」と「独りで考える」って同じ?自律性などとの関係って?
「自立」とは?「自律」とは?その違いって?自律型人材とは?
「社長、上司、部下、会社組織にとって本当に必要な支援って何だろう?」シリーズ


【追伸2】
「三方よしって、何???」
という方は、よろしければ以下のページも見てやってもらえると嬉しいです。(^^)


三方よしって、何だろう?


posted by ネクストストラテジー at 07:25| Comment(0) | 意味が曖昧な言葉から考えて行動してみる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。