「間違いをやらかす度に注意しているんだけど何度注意しても間違っちゃうし、いっそのことクビにした方がいいのかも!?などとキレそうになっちゃうんだよね・・・ ( ▽|||) 」
「このままじゃー、また間違っちゃうじゃん、失敗しちゃうじゃん・・・、何で気づかないんだよー! (;゜Д゜) 」
「自分の頭で考えようとしないし、誰にも相談もしようとしないから失敗やらかしちゃうんだよなー、周りのことももうちょっと考えてから行動してくれりゃーいいのに・・・ (;´д⊂) 」
「失敗を恐れるとゆーか、間違うのを嫌がるとゆーか、チャレンジしようとしないとゆーか・・・、自発的に行動しようとしないとゆーか・・・、どんな教育をやればいいんだろ〜??? o( ̄_ ̄|||)o--- 」
「絶対に上手く行くやり方、絶対に間違わない方法、絶対に失敗しない方法って、なーんかないもんかね〜? (;´Д`)ノ 」
などなど、このような切実な声をお聞きすることもあるんですが・・・
(;´・ω・`)
んでもって・・・
「三方よしの経営相談」や、「自律型人材育成」、「組織力の強化や向上」、「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」のお手伝いを行なっているからか・・・
「爆発・炎上・崩壊組織」で消防のお手伝いを行なうこともあるからか・・・
いろんな意味で、考えさせられるコトもあるんですけど・・・
ンーン (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン
一見、全然関係ないように思えるかもしれないけど、コレってもしかしたら・・・
■ 「方法論や手法などに振り回される前に考えておきたい事って何だろう?」シリーズ
■ 会社の全体像を俯瞰すると気づく事、俯瞰しないと気づけない事って何だろう?
■ 対症療法とは?会社の現状そのものに対処しようとすると何が起こるんだろう?
■ 社長にとって必要な組織とは?必要となる組織力の向上や強化って同じ?
■ 「経営者の視点を従業員にも持って欲しいと社長が思う理由って何だろう?」シリーズ
■ 社長が従業員に相談しない、相談したくない、相談できない理由って何だろう?
■ 「社長が愚痴る理由、従業員には愚痴らない、愚痴れない理由って何だろう?」シリーズ
■ 社長がいつも強気でパワフルで元気で前向きで楽観的に見える理由って何だろう?
■ 中小企業の従業員が知っておきたい経営者が孤独を感じる原因って何だろう?
■ 後継者の孤独とは?2代目や3代目など中小企業次期社長ならではの苦労って何だろう?
■ 子供を跡継ぎにするか迷う、跡を継がせるかどうか社長が悩む理由って何だろう?
■ 「事業承継とは?中小企業の経営で本当に引き継ぐ必要がある事って何だろう?」シリーズ
などなどにも、ある意味関係するっちゃーするのかも〜???
なーんて、感じたので・・・
そもそもの話・・・
失敗って、何なんだろーか?
間違いって、何なんだろーか?
どーして、失敗や間違いは起きるんだろーか?
誰が何をどうすれば、失敗や間違いは起きないんだろーか?
失敗や間違いが起きる根本的な原因って、いったい何なんだろーか?
失敗や間違いをするメリットって、いったい何なんだろーか?
失敗や間違いをするデメリットって、いったい何なんだろーか?
それは、誰にとってのメリットやデメリットなんだろーか?
本当の失敗や間違いって、いったい何だろーか?
何が本当の失敗や間違いで、何が本当の失敗や間違いじゃないんだろーか?
それは、誰がどーゆー基準でどう決めるんだろーか?
失敗や間違いを一切しない人って、存在するんだろーか?
失敗や間違いを一切しない組織って、存在するんだろーか?
失敗や間違いから学べる組織って、どんな組織なんだろーか?
失敗や間違いから学べない組織って、どんな組織なんだろーか?
同じ失敗や間違いを繰り返す組織って、どんな組織なんだろーか?
失敗や間違いから学べる組織と、同じ失敗や間違いを繰り返す組織の違いって何だろーか?
何のために、失敗から学ぶんだろーか?
誰のために、失敗から学ぶんだろーか?
などなどについて・・・
一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも〜?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。(^^)/
んーと・・・
まずは、例えばこんなのから考えてみるのはどーでしょう?
■ 失敗とは?
○ コトバンク
物事をやりそこなうこと。
方法や目的を誤って良い結果が得られないこと。
しくじること。
○ Weblio辞書
やりそこなうこと。
目的を果たせないこと。
予期した効果をあげられないこと。
しくじり。
■ 間違いとは?
○ コトバンク
1. 真実と違うこと。誤り
2. しくじり。過失。あやまち
3. 異常な出来事。事故
■ ミスとは?
○ ウィキペディア
・英語からの転用、あるいはミステイクを略した外来語で「誤り」の意
・人為的な「失敗」の意
■ エラーとは?
○ Weblio辞書
@ やり損なうこと。失策
A 計算あるいは測定された値と,理論的に正しい値とのずれ。誤差
■ ヒューマンエラーとは?
○ ウィキペディア
ヒューマンエラーとは、人為的過誤や失敗(ミス)のこと。
ヒューマンエラーは様々な職種において、経験を重ねたベテランやルーチンワークでも起こりえる事である。
経験で学んだ事により、スムーズに業務を全うする為に、業務に支障をきたさない範囲での基本的な確認・操作を省略し、積み重ねてきた事により「問題ない」という自己確信 が生じる。
そのような状態下で、確認・操作を怠ったまま業務を進行させると、非常時に結びついた場合、重大な問題・被害に発展する可能性がある。
人間である以上必ず失敗 (エラー) は起こりうる、人間に任せる完璧な対応策はないといった観点に基づいた対策を講じる必要がある。
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で・・・
次に、例えばこんなのからも考えてみるのはどーでしょう?
■ 「会社を変える人の「味方のつくり方」」
「失敗はあってはならない」という前提から出発すると、もし、あってはならないはずの失敗が生じたとしたら、これは当然、厳しくとがめられます。
「誰がやったんだ」ということが必ず問題になり、結果の責任追及が待っているわけです。
もちろんそれはそれで、抑止力にはなります。
ただ、責任追及に関しては、仮に自分がそのときは追求する立場に立っているとしても、誰しもお互い様なので、できればあまり厳しいことはいいたくない。
特に自分に近いところで起こったことは、「そんな追求はやめようじゃないか」ということになりがちです。
なるべく事を穏便に、内々だけの範囲に留めて、あまり大げさにせず、揉み消す努力がなされます。
これに対し、「人間は必ず失敗するもの」という前提から出発すると、失敗した原因を追求して二度と起こらないようにする、という考え方が基本にありますから、実際に失敗が生じると、
「どうして失敗が起こったのか」
「なぜ失敗したのか」
という原因を「人」と「事」に分けて考えるために追求がはじめやすくなります。
失敗は起こるのが当たり前で、起こったら次に起こらないように手を打つことが大切だ、というのが基本的な考え方だから、これは当たり前です。
つまり、誰がやったのかという責任追及、いい換えれば管理の視点よりも、まず、なぜ失敗したのかという原因の追求とその原因を摘み取ることが優先されやすくなるのです。
小さな失敗を厳しくとがめる、という管理主義を徹底すればするほど、その裏返しとして内々に処理して表ざたにしないように上手に隠すことが起こりがちになります。
大切なのは統制を厳しくするのではなく、失敗を顕在化させ、その原因を明確にすることによって解明し、取り去り、大きな失敗への波及を防ぐことなのです。
■ 「医療事故 ― なぜ起こるのか、どうすれば防げるのか」
組織事故の発生メカニズムを説明するものとして、スイスチーズ・モデルが提唱されています。
あるスタッフや機械が危険を発生させたとき、階層的な防護(人や設備)によってそれが事故になるのを防いでいるが、防護は完璧ではないので、チーズの穴(防護が不十分な箇所)がたまたま重なったところをその危険がくぐり抜けた場合に事故が生じるというものです。
医療組織で起こる事故は、患者に近づくにつれて危険が増大していくモデルで考えた方がよいでしょう。
雪玉が転がり落ちるイメージを表して、「スノーボール・モデル」と呼びます。
一連のプロセスの最初に仕事をするスタッフが、もし何らかの失敗をしたとき、2番目のスタッフがその失敗を発見できれば危険が減少しますが、発見(防護)に失敗して危険が残ることもあります。
2番目のスタッフは、引き継いだ仕事を行う過程で失敗したり、自分がスタートさせる新たな仕事の中で失敗したりすることも考えられ、最初のスタッフが発生させた危険よりもより大きな危険を、次のスタッフに向けて送り出す可能性があります。
こうして仕事が継続されるうちに、危険の雪玉はドンドン大きくなって転がり落ちていくかもしれません。
なぜなら、防護(危険の監視や発見、危険発生時の対処)の仕事だけをするスタッフがいないからです。
危険を危険と認めない「病的組織」は論外としても、これまで多くの組織は、事故が起こると失敗した者を訓練したり不具合な設備を修理するというような局所的な対応ですましてしまう「場当たり的組織」でした。
しかし、これからの組織は、事故を組織全体を改良する契機とみなすような「生産的組織」であることが必要です。
つまり、事故を起こした個人・設備に部分的に注目するアプローチから、組織・システムを総合的に改善するアプローチへの転換が必要です。
事故は個人が起こすものではなく、組織の中で起こるものですから、個人に責任を押しつけて処分し、それで片付けてしまうやり方では、事故を起こしやすい組織の体質はそのまま残ってしまいます。
それでは「事故から学ぶ」ことができなくなり、安全な組織に改善するチャンスを逃すことになるでしょう。
事故予防には一度で効く特効薬はありません。
どのような安全な組織を作っても、安全を求める努力を怠るとすぐに安全でない組織になるのです。
■ 「ヒューマンエラーの心理学」
人間個人の注意力には限界があります。
人間には錯覚が生じ、注意力には限界があるということは、心理学では常識であります。
集団、組織、機構、機械、環境などの整備で、人間の不完全さを補っていく必要があります。
人や組織の犯す危険な行為には、「エラー」と「ルール違反」とがあります。
そして、組織の中にあり、事故を起こしたとされる失敗(エラーやルール違反)の背景にある、エラーやルール違反を引き起こす条件を見つけたり改善したりすることが事故予防の要です。
事故が起きると、「今後は注意を促し、徹底させる」といった具体性を欠く対策が発表されることが少なくありません。
しかし、事故予防には「エラー」と「違反」を区別し、それぞれを引き起こす条件を取り除く対策が必要です。
エラーをその発生メカニズムの視点で考えると、いくつかに分類できます。
○ ミステイク
「誤った目標の選択」です。
状況の把握が不適切なために不適切な目標を選んでしまう誤りです。
誤った目標については目標通りに実行されるので、実行者自身は発見するのは難しいエラーです。
○ スリップ
「目標に合わない行為」です。
不適切な行為を無意識に行なう誤りです。
目標と行為の結果とが明らかに食い違うので、起こったとたんに実行者が失敗したと気づくことの多いエラーです。
一方、ルール違反を犯してしまう人間の心理特性と切り離しては考えられません。
事故が発生したときに「なぜこのような(初歩的な)失敗をしたのか、信じられない」というようなコメントがなされることがあります。
しかし、心理学で明らかにされてきた人間の認知や行動特性、あるいは集団の特性から考えると、そういう状況であればその失敗も起こりうることだと見えてくることが少なくありません。
失敗や事故を起こしてしまった人に、「あれほど注意したのに / 教えたのに」と叱責することがよくあります。
人は忘れる動物です。
1週間前に言われたことでも、すぐに忘れてしまいます。
ある人がどんな場面でも同じミスを犯すとは限りません。
ことはそんな単純なものではありません。
個人の問題ではなく、同じ状況下では誰でも同じミスを起こしうるという前提のもとで、システムのあり方を問題とする方が、第一段階としては適切でしょう。
ヒューマンエラーとは、人間の創造性と裏腹になったもので、決してネガティブにだけ評価されるものではありません。
『論語』の中に、こんな弟子とのやりとりが書かれています。
ある時、弟子から「先生、過ちとは何ですか?」と尋ねられ、孔子はこう答えています。
「過ちを改めざるをもって過ちとなす」
つまり、人に間違いはつきものだ、でも、人はそこから学んで過ちを改めることができる。
過ちから学ぼうとしないで同じ間違いをいつまでも繰り返すのを過ちというのだ、と孔子は言っています。
■ 「なぜ危機に気づけなかったのか」
会社で働いている人の多くは、特に自分がミスを犯したかもしれないとか、ある失敗の火種を作ったかもしれないというようなことを社内で口にすることで、問題児と見られたり、不利益を被ったりするのを恐れている。
従業員が潜在的な問題を探し出す方法や仕事中に特に気をつけておくべき兆候、懸念を感じたときにそれを他の人に伝える方法を教えられていれば、問題はもっと早く表面化するだろう。
孤立化の落とし穴に遭遇するのは経営上層部だけではない。
あらゆるレベルのリーダーが、ときとして組織を脅かしている問題を実際によく知っている人たちから孤立している自分に気づく。
問題を見つけたいなら、孤立化の落とし穴に気をつけ、それを避けなければならない。
そんな状態から抜け出し、心を開いて問題に耳を傾け、問題を観察し、問題を学ばなければならない。
問題を見つけようとすれば、自分が犯した過ちを認め、それを人前で話題にしなければならない。
問題を知らなければ、優れた意思決定も厄介な問題を解決することもできないことを認識しなければならない。
問題を解決するには、まず「問題」がわかっていなければならない。
真の問題を見極めることが最も難しい課題である。
企業をはじめ、多くの組織において問題は隠れてしまい、いくら問題解決法を知っていても「解決すべき問題」が何か、わかっていないことが問題になっている。
問題が起こり、大事故・大惨事に発展してから解決策を見出すより、問題になりそうなことを早くに発見し、まだ軽微なうちに手を打つことのほうが価値がある。
しかし、手遅れになってからやっと危機に気づいたり、見当違いの問題を解決しようとしている場合さえある。
■ 「こうすれば組織は変えられる!」
改善すること自体は、決して難しいことではない。
各自が現状を把握し、認めることができれば、それを改善することは決して難しくないのである。
ただ問題は、我々のほとんどが現実を認めることができないということである。
今日の企業風土においては、自分自身を直視すること、とりわけ自分の担当部署の現状を認めることは、簡単ではない。
「内部は隠せ」というのが、今日の企業社会の現状である。
変化が絶対的に不可避なものとしてその身にのしかかってきても、車のヘッドライトに照らされた鹿のごとく、ひたすらその場に立ち尽くす人たちがいる。
何をしなければならないかはわかっているのに、恐怖のあまり動き出せないのだ。
人によっては、変化そのものよりも、それがもたらすアカウンタビリティに対する恐怖の方が大きい場合がある。
彼らは、間違いを指摘される可能性を恐れて、責任を与えられることをいやがるのだ。
これまでに幾度も恥ずかしい思いをさせられてきたのだろう。
とにかく二度とそんな思いはしたくないのである。
こうした恐怖心は、特に具体的な理由がないときでも、その人の心から消えることがない。
経験に根差す罪悪感と恥の意識は、人の自尊心を深く蝕む。
特に、間違いをことさら強調するような環境に育った人は、きわめて深刻な問題を抱えてしまう。
残念ながら、組織内で日々行われていることのほとんどは、間違いや失敗ばかりに焦点を当てる、ネガティブ思考に基づくものである。
攻撃ばかりされていると、人はほとんどのエネルギーを次の攻撃をかわす準備に費やしてしまう。
そして、いったんそのくせがついてしまうと、なかなか抜け出すことができない。
2度、3度侮辱されれば、人は自分を侮辱した相手の姿を見たとたん、次なる侮辱に備えて身を固くし、その人が何をしようとそれを侮辱と受け取る。
そうなれば、ときおり親切な態度を見せてもほとんど効果はない。
恐怖心に支配された人は、突然間違っていもいいと言われても、当然ながら疑心暗鬼で、なかなか古い習慣を捨てようとはしない。
恐怖心によって培われた習慣は、たとえ本人がそれを望んだとしても、打ち壊すのが非常に難しい。
多くの人は、間違いを罰と結びつけて考える。
しかし間違いは、それが何かを探求する過程で起こった場合、学習する機会として歓迎されるべきなのだ。
私たちは笑顔や拍手でアプローチされたときの方が、無視や蔑みやしかめっ面で対応されたときよりも、協力的な態度で応えることができる。
失敗を見つけて叱責するかわりに、うまくやり遂げたものに目を向け褒めることを習慣にするのは、決して難しいことではない。
リスクテイキングに対する不安をなくすには、結果を心配せずに、つまり失敗を恐れずにリスクを冒すことのできる文化をつくらなければならない。
■ 「なぜ社員はやる気をなくしているのか」
立場や役割を超えて仕事がしやすい環境というのは、失敗しても、それが前向きの失敗ならば許容される雰囲気や、困ったときに誰かが必ず手を差し伸べてくれる空気のある環境だ。
しかし、そうした経験を入社以来一度もしたことがない人もいて、そういう人は困ったときに周りが手を差し伸べてくれるという状況を想像すらできない。
立場や役割を超えて仕事ができないと、次々に出てくる新しい課題も処理できないままで放置されることになり、組織は見えないところで機能不全に陥ってしまう。
本当は問題があるのだが、誰も気づいていないために解決されない、ということはよくあることだ。
「問題の芽」は多くの場合、隠れたままで、外からは気づかれないような状況になっていることが多い。
ということは、問題を解決し、改善しようと思えば、
「問題は何か」
「問題はどこにあるのか」
がわかっていなくてはならない。
問題がまだ起きていない段階で、その芽を見つけるのも大事なことだが、いつもそれができるとはかぎらない。
つまり、問題が起きることで、ようやくその問題に気づく、というのはよくあることなのだ。
大きな問題が本当に「起きてしまう」と、多くの場合、マスコミをにぎわすような事件になるから、リスクも大きくなる。
そうしたことはできれば避けたい。
しかし、注目すべきは、こうした大きな問題が出てくる前に、ほとんどの場合その前兆である小さな問題が顔を見せている、ということだ。
問題が出てこないよう厳しく管理する姿勢は行き過ぎると、小さな問題を出しにくくする傾向をもたらす。
問題が出てきたら厳しく叱り、二度と出さないよう反省文を書かせたり、特別な研修に送り込んだりすることでは、問題は解決しない。
そういうことをすればするほど、かえって問題が表に出にくくなるからだ。
「問題はないほうがいい」という考え方を持っていると、どうしても問題を表ざたにするのを嫌うようになる。
しかし小さな問題を無視し続けていると、それらの小さな問題は内部で発酵しながら増殖し、身体が弱ったときに発病する。
大きな問題が「起きて」しまうのだ。
問題があること自体を問題と考えてはいけない。
どんな組織にも問題はあるのだから。
問題があることが問題なのではない。
問題が見えてくること自体はきわめて望ましいことなのだ。
人は、そもそも完全無欠な存在ではない。
■ 「失敗学のすすめ」
「恥ずかしいから直視できない」
「できれば人に知られたくない」
失敗に対するこうした見方は、残念ながらいまでは日本中のありとあらゆる場面で見受けられます。
人は「聞きたくないもの」は「聞こえにくい」し、「見たくないもの」は「見えなくなる」ものです。
しかし、失敗を隠すことによっておきるのは、次の失敗、さらに大きな失敗という、より大きなマイナスの結果でしかありません。
失敗から目を背けるあまり、結果として、「まさか」という致命的な事故が繰り返し起こっているのだとすれば、失敗に対するこの見方そのものを変えていく必要があります。
忌み嫌うだけのいままでの方法には限界があることは、最近になって相次いで起こっている事故を見れば明らかです。
失敗はたしかにマイナスの結果をもたらすものですが、その反面、失敗をうまく生かせば、将来への大きなプラスへ転じさせる可能性を秘めています。
事実、人類には、失敗から新技術や新たなアイデアを生み出し、社会を大きく発展させてきた歴史があります。
これは個人の行動にも、そのままあてはまります。
どうしても起こしてしまう失敗に、どのような姿勢が臨むかによって、その人が得るものも異なり、成長の度合いも大きく変わってきます。
つまり、失敗との付き合い方いかんで、その人は大きく飛躍するチャンスをつかむことができるのです。
人が活動する上で失敗は避けられないとはいえ、それが致命的なものになってしまっては、せっかく失敗から得たものを生かすこともできません。
大切なのは、失敗の法則性を理解し、失敗の要因を知り、失敗が本当に致命的なものになる前に、未然に防止する術を覚えることです。
さらに新しいことにチャレンジするとき、人は好むと好まざるとにかかわらず再び失敗を経験するでしょう。
そこでもまた、致命的にならないうちに失敗の原因を探り、対策を考え、新たな知識を得て対処すれば、必ずや次の段階へと導かれます。
「こうすれば失敗しない」
「こうすれば成功する」
「これはダメ、あれはダメ」
という教育方法では、やはり知識の表面的な理解しかできません。
「小さな失敗を不用意に避けることは、将来起こりうる大きな失敗の準備をしていることだ」
ということを、もっと私たちは知るべきなのです。
人が成長する上で、必ず失敗しなければならない失敗があるのです。
これが「よい失敗」で、別の言葉を使えば「必要な失敗」といえます。
そして、「よい失敗」「必要な失敗」は、成長や発展を促すためにもどんどん経験すべきなのです。
失敗の成長は、水をたたえるダムにたとえることができます。
小さな失敗という水が貯められていく過程で放水という防止策を打てば、決壊などの問題が生じる心配はまったくありません。
これを行わずに徐々に水を貯め込んでいくと、最も弱い部分にやがて小決壊が始まります。
それでもなお放水を行わずに放置してやくと、ある閾値に到達したときにはついてに大決壊が始まり、破滅に向かって一気に突っ走る、取り返しのつかない大失敗に成長してしまうのです。
大きな失敗が発生するときには、必ず予兆となる現象が現れます。
しかし現実には、こうした失敗の予兆は放置されることがほとんどです。
なぜなら失敗は「忌み嫌うもの」であり、できれば「見たくない」という意識が人々の中にあるからです。
ひとつの失敗、ひとつの事故の真の原因をきちんと解明することは、同じ原因で起こる次の失敗の未然の防止にそのまま結びつくのです。
よく見られる例が、ある部署で起きた失敗の情報が伝わらず、すぐ隣の部署で同じような失敗が繰り返されるケースです。
効率重視で組織を構築したいまの組織ではよく見られます。
失敗の情報を共有するためのなんらかの対策を打たなければ、同じようなつまらないミスをどこの部署でも繰り返す悪循環に陥ります。
ムダを省くことは、効率化をはかる上では意味があっても、一方で蓄えられた知識や経験をますます貧しいものにしてしまう逆効果もあるのです。
「まさかこんなことが起こるとは・・・」が失敗を起こしたときの決まり文句になっていますが、多くの場合、言葉どおりに受け取ることはできません。
最大効率をお題目に、関連するはずの他部署の仕事の中身もまったく教えず、全体システムの中でそれぞれの関係の脈絡を断ち切ってきたのが、日本企業の典型的な管理手法でした。
このやり方で、作業者を思考停止状態に陥れた挙げ句、失敗が起こったときの言い訳が
「思いもよらなかった」
「予測できなかった」
の決まり文句です。
「思いもよらなく」「予測できなく」させているのは何なのか、もう一度深く考えてみるべきです。
経営不振に苦しみ、事故やトラブルなどの失敗を繰り返す日本のいまの状態は、おごり高ぶり、健康管理を怠って病に倒れた病人の姿を彷彿とさせます。
日本企業は、欧米という先例に学び、知識をすべて取り入れながら最大効率の経営スタイルを実現させてきました。
企業のみならず日本全体の問題として考えなければならないこうしたマネ文化のツケは、安全管理がまともにできずに、事件、事故をいたずらに繰り返している昨今の風潮の中にもはっきりと表れています。
背景にあるのは、お手本があって、決まりきったものをやれば失敗まで防ぐことができると考えていた社会全体に広がっているナンセンスな妄信です。
■ 「「一体感」が会社を潰す」
権限のある人が、その権限を使ってビジネスを行い、成果をあげれば報酬を受け取り、失敗すれば責任を問われるというのが正論です。
ところが、この正論が通用しないのが日本の組織です。
権限は与えられず、責任だけとらされる組織にいるメリットはゼロです。
権限と責任が不釣合いな組織では、誰もリスクをとりたがりません。
誰もリスクをとりたがらないのですから、当然、リターンもない、じり貧の組織になります。
「挑戦しよう」「新しいことにチャレンジしよう」といくら掛け声をかけたとしても、思ったとおり自由にやらせてもらえず、失敗したら責任をとらされることがわかっているのですから、誰もそんな挑戦などしません。
■ 「「自己責任」とは何か」
どのような場合も、必ず出来事の原因はあります。
その出来事のルーツにさかのぼって、失敗を検証し、そのつどの責任者の存在を明確にしてゆくことが必要です。
直接責任のない者に対して共同責任や連帯責任をとらせるのは、失敗をごまかす権力者の常套手段なのです。
「自己責任」という言葉も、責任概念を曖昧化する方向でしかないことは明らかだと言えます。
責任とは、「ある約束に対する応答」であることを忘れてはなりません。
■ 「生活保護リアル」
今日では、失敗すること、敗北することは、自己責任で招いた結果とみなされる。
特に貧困状態に陥ってしまったら、誰に言われなくても「自分の能力のなさが招いた結果」と考えて自責しがちだ。
「能力主義」「自己責任」「自己選択」・・・
どれも、資本主義社会のもとでは、当然であり、好ましいものとみなされている。
「頑張ればなんとかなる」という文化。
裏返せば「なんとからないのは、頑張らなかったからだ」という文化だ。
そして、精神的にも経済的にも追い詰められた人々が、精神を病み、精神科へと流れ込む。
いわゆる「生活保護叩き」に走る人々は苦しい人が多い。
がんばっていたりする人だ。
恥の意識が強くて、自己責任論を内面化している。
自分は必死でがんばっているから、「なぜ、あいつは」と思ってしまう。
しかし、その「苦しい人」たちは、実のところ、自分の首を締めているだけではないだろうか?
自分がいつ頼らざるを得なくなるかもしれない生活保護制度の改悪を望み、生活保護受給者を攻撃するということは、自分の生存の基盤を切り崩し、近未来の自分を攻撃するということになるのではないだろうか?
人間と人間との関係は、なんらかの形で「助け合う」ことで成り立っている。
そのように考えることができたら、世界はどれほど豊かに感じられるだろうか?
■ 「自己責任だ」と説教しても、貧困問題は解決しない
何かの理由があって、仕事が出来ないから困窮している。
それなのに出来ないことだけを見て責めても問題は解決しません。
みんなに責められている人をこれ以上、責めても仕方ない。
結果をみて判断して説教するのは簡単です。
なぜそうなったのか。
過程を丁寧にみていかないといけない。
説教をして自己満足しても、その人の問題解決につながらない。
自業自得じゃない要素を持っていない人って少ないと思うんですよ。
誰だって、「もっと勉強していればよかった」とか「あの時、就活頑張っていたらもっといい企業に入れたかも」「あの人と結婚しておけば......」って人生の選択に失敗はつきものです。
助けを求める人に対しては、粗さがしをしてしまう。
でも、そうやって粗さがしをすることで、自分は不正をただした気持ちになるかもしれないけれど、問題は解決しないんですよね。
「自己責任」って言うのは、最強の言い訳ワードなんです。
その一言で見ないようにできる。
自己責任って言いだしはじめたら、誰も反論できません。
「自己責任」と言われて言い返せる人なんてほとんどいません。
自分自身の生活が100%高潔な人はいないと思うので。
■ 他人の責任にしても何も変わらない
誰かが言った。
「俺は悪く無い」
「私は何もしていない」
「あいつが勝手にやったことだから」
「他のやつらもやっていることだから」
「私以外の人たちは何もしていない」
「他人が何もしないから 何も出来ない」
言い訳が上手になるだけでは何も変わらない。
自分の失敗を認めることって 悪い事だろうか。
少しの失敗 どうでも良い失敗 普通にしてしまうような失敗。
小さな小さな ちっぽけな 簡単な失敗を恐れて何になろうのだろうか。
それで 本当に悪い失敗をした時には きちんと対処できるのだろうか。
失敗を怖がっているだけじゃ 何も変わらない。
■ 失敗という定義
「失敗」という言葉を使うことは 簡単だろう。
自分で考え 自分で行動しなければ 自分で失敗はしない。
失敗が多い人は 自分で考え 自分で行動している。
何もしない人は 失敗した人のことを 平気で悪く言うことが出来る。
変化する時には 失敗は付き物だ。
初めての挑戦で 失敗は付き物だ。
何を以て 失敗というのかは 私には分からない。
辞書には 何もしないことを失敗とは 定義されていない。
ただ 言葉には力があることを 知っておこう。
言葉の定義に 惑わされないようにしていこう。
■ 「現場力を鍛える」
失敗に目が行きすぎると、どうしても新しいことにチャレンジしない保守的な考え方に染まる傾向が出て来る。
中には、失敗も出てくるだろう。
その失敗を検証し、学習することによって新たな否定へとつないでいく。
現場には大小様々な問題点が存在する。
しかし、そうした現状を「所詮こんなもの」と容認してしまっては、問題点は浮かび上がらず、やがてはその中に埋没していく。
最初は問題だと感じたことでも、感受性が鈍くなり、問題であることすら認知しなくなる。
そして、現場は腐っていく。
現場力を高めるのは人である。
他社で成功した方法論やコンセプトを導入したり、最先端の情報技術(IT)を採用しても、それで自動的に現場力が高まることなどありえない。
道具から業務を考えるのではなく、業務から道具を考えるのが鉄則である。
■ 「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。」
ビジネスの問題ではほとんどの場合、問題の原因をわかっている人間が少なくともひとりはいる。
そうでなくても、問題の原因を断片的にはわかっている人が何人かいる。
根本的な原因を探って問題を解決するためのツールは、普段はあまり接点のない関係者が集まった場合にこそ効果を発揮する。
人間は道具を使うのが好きだ。
だからこそ文明を築くことができた。
危険なのは、ツールそのものを解決策と勘違いし、ツールさえあれば関係者が連携しなくてもうまくいくと思ってしまうことだ。
実際、方法論の多くはそのような考えのもとに発展した。
もともとは人間のために開発された方法から、いつのまにか人間的な要素が取り除かれてしまったのである。
気がつけば、莫大な量のデータや資料を用いる方法論になってしまい、報告書の作成に際限もなく時間を取られることになった。
そんなことに骨を折るぐらいなら、現場の関係者の話を聞き、みんなで協力してクリエイティブな方法で問題を解決することができるはずだ。
にもかかわらず私たちは、データ入力やフローチャート作成やソフトウェアのインストールやデータ分析や報告書の作成に追われてばかりで、みんなで実際に業務プロセスの問題に取り組む時間を取れずにいる。
結局、意味のある改善活動など行っていないのだ。
資料や報告書や計画自体は、改革プロジェクトの本当の成果物とは言えない。
関係者全員で取り組みもせずに、ビジネスの問題を解決できると約束するようなツールや方法論やプログラムや取り組みは、ことごとく失敗する。
■ 「学習する組織 −現場に変化のタネをまく−」
組織を変革するためのコンテンツ、つまり目標や制度、仕組みがいくらよくても、それが必ずしも組織に浸透するわけではない。
組織のビジョンやミッションが会社案内や経営計画に載っていても、メンバーは誰も本気にしていない。
絵に描いた餅のように思っている。
そして、ゴールや目標が一部の人だけで決められてしまい、それらの検討に参画していないメンバーにとっては、指示・命令と受け取られ、強制されたノルマになってしまう。
そうするとメンバーは、「外発的動機付け」である賞罰という誘引によって動くようになり、主体性ややる気といったものが、発揮されにくくなってしまうのだ。
さらに、目標を達成するための施策や仕組み・制度も、一部の人が決めてしまい、その実施を上位下達で周知されても、大抵の場合は現場の実情には合わない。
そのため、メンバーは今のやり方を変えようとか、新しいやり方を現状に適応させようとはせずに、おざなりに行なうか放置してやり過ごすようになる。
その結果、せっかく新しい試みをしようとしても形骸化してしまう。
これではまずいということになり、次に実行のためのトレーニングが行なわれる。
しかし、このトレーニングの進め方は、教え込もうというプロセスになり、知識ややり方を解説し、実践できるように練習するというマニュアル的なものになる。
メンバーは上からしつこく言われるので仕方なしに現場で実践するが、主体的な意欲を持っているわけではないので、「言われたこと」「指示されたこと」しか実践しない。
それでは成果が上がらないので、実践段階では管理が強化される。
その結果、何とか目標を達成したとしても管理者は疲弊し、メンバーはやる気を失っている状態が生まれる。
これが多くの会社にありがちなプロセスである。
言い換えると変革の失敗のプロセスと言えるだろう。
■ 「現場の「知恵」が働く チームイノベーション」
マネジメントのあり方は、直接的にも間接的にも知恵の発露に大きく影響している。
上司を信頼していない部下というのは、決して自分で考えて行動を起こそうとはしない。
「いわれたことだけやっていればいい」「余計なことをするな」と叩かれたりマイナスの評価をされたりして、損をするばかりだからである。
だから、上司と部下の間に信頼関係がない職場からは新しいアイデアがなかなか生まれてこない。
人が萎縮するような環境のなかでは創造性が働かないのである。
とくに上司のマネジメントが指示型で一方通行の場合、部下は亀が甲羅に首を引っ込めたような状態になり、余計なことはいわない、しない、というふうに自発性を封じ込めてしまう。
こういう上司に対して余計なことをいおうものなら、すぐさま隙をつかれて叩かれる。
積極的に知恵を出すことは、むしろリスクを冒すことにほかならない。
「知恵を出すだけ損をする」状況なのである。
忙しくて部下にていねいに接することができないために、かえってこまめに指示を出し、できるだけ失敗しないように効率よく仕事をしようとする事情もわからないではない。
ただ、上司がよかれと思ってやっている管理や指示が、じつは部下から考える力を奪い、考えられない部下を量産してしまうことにもなる。
そのような組織では、うわべでは仕事はうまく回っているように見えても、部下は上司からの指示を待っているだけになっていたりする。
表面的には効率が上がっているように見えても、本当の意味で、生産性の高い仕事の仕方とはいえないだろう。
また、失敗させないようにするというのも一見好ましいことのようで、対応力の観点でいえば好ましいことではない。
というのも、今日のようにビジネスの環境がめまぐるしく変化するなかでは、いつでもどこでも「正しい」やり方というものがすでに存在しなくなっている。
この場合はうまくいくが、これ以外の場合はうまくいかないかもしれない。
前例が適用できない環境のなかでは、個々が状況を読み取って、その場で考えて対応することが求められる。
その過程で、一つや二つの失敗はあるかもしれないが、自分で考えてやってみる試行錯誤のなかでの失敗は、現場の経験を豊かにして対応力を高めていくための大事な学習の機会なのである。
何かを考えたりやろうとする時、必要なのは気軽に相談できる相手だ。
一人で問題を抱え込んでしまうと、解決の糸口が見つからずに悶々とする。
行動も周囲の応援や協力があれば起こしやすいが、誰か協力してくれる人がいるかどうか前もってわかっていないと、初めの一歩がなかなか踏み出せない。
周りにいる人たちが、自分の意見を聞いてくれる、受け止めてくれる、せめて自分を攻撃しないとわかっていなければ、「こうしたい」「やろう」ということすらいい出しにくい。
職場に安心してものがいえる雰囲気があって、メンバー同士が気楽に話をし、一緒に考えようという関係性になっていないと、知恵は引き出されてこないのだ。
さらに、同じような問題にぶつかっているのにお互い知らないとか、似たようなことをあちこちでやっているといった明らかなムダが見えてくることもある。
みんなが自分のことで精一杯、わき目もふらずに作業に没頭して話もしない状況だと、全体どころか周りも見えなくなる。
そのことが結果として、組織の非効率を生んでいるのである。
「過去に」
「他社が」
「利益は?」
これらはいずれも自由な発想を遮断する危険なキーワードだ。
しかも、必ずしも悪意で発せられるのではなく、「失敗するな」「無駄なことはやるな」という配慮にもとづくアドバイスとして発せられる場合が多い。
よくいえば親心だったりするから始末が悪い。
いわれた瞬間に部下は「失敗しないようにしよう」「ムダなチャレンジはやめよう」と反射的に思考を切り替える。
新しいチャレンジを避ける、見通しが立たないことはせずに確実なことだけを実行する、上司からの指示だけをこなす、というふうに行動が限定的になる。
本当はそこからアイデアを膨らませる余地があるかもしれないのに、「上司から止められたからやめておこう」となってしまう。
「失敗は許されない」といういい方をよく聞く。
むろん大きな失敗はしないに越したことはないけれど、では、どのくらいまでの失敗なら許されるのかと、一度まともに考えてみるべきではないだろうか。
大きな失敗を恐れるあまり、小さな失敗を避けて通っていたら、いつまでたっても状況は変化しない。
小さな失敗が予測されるのであれば、むしろそれは課題だととらえ直すべきであって、課題を克服しようとするところから発想は生まれる。
■ 「人として正しいことを」
信頼は、積極性や推進力をもたらす。
そこには人を鼓舞する力がある。
信頼することは、何かを放棄し、他者に力を譲ることだとも言える。
信頼は相手に力を与えるが、それが美徳であるがゆえに、信頼する側にも力を与える。
信頼がないとき、確実性のギャップはグランドキャニオンのごとく立ちはだかる。
そういうときの私たちは、車のスピードを落とし、より慎重に行動し、友人や仲間の輪を小さくして保守的になる。
だが信頼があれば、すべては逆転する。
私たちは安心し、大胆に行動できる。
互いが信頼で結ばれていれば、誰もがもっとリスクを負ってみようという気になる。
制度自体にも挑み、問題を解決しようと思うようになる。
上司や同僚からの批判を恐れて、小さな箱にとどまったりはしない。
自由に発想し、発明する。
もっと実験し、たとえ失敗しても貴重なことを学んだと自信を深める。
信頼が多くなればなるほど、より大きなリスクを負うことができるのだ。
信頼はリスクを負うことを可能にし、それがイノベーションにつながり、進歩を生み出す。
人が人を信頼するのと同様、組織が組織を信頼することもできる。
「組織間の信頼」とは、ひとつの会社が別の会社を「全員で信頼しようとすること」だと言える。
その組織にどんな人がいようと、一人ひとりが一貫した行動をとれば、組織としての信頼を勝ち取ることができるのだ。
あなたと他者との間のシナプスが信頼を生む行為で満たされれば、その関係は人間的にも財政的にも、大きな利益をもたらすだろう。
従業員との関係に信頼を織り込めば、コストは削減され、効率もよくなる。
■ 「マネジメント - 基本と原則 [エッセンシャル版]」
自らの事業は何かを知ることほど、簡単でわかりきったことはないと思われるかもしれない。
しかし実際には、「われわれの事業は何か」との問いは、ほとんどの場合、答えることが難しい問題である。
わかりきった答えが正しいことはほとんどない。
企業の目的としての事業が十分に検討されていないことが、企業の挫折や失敗の最大の原因である。
企業の目的と使命を定義するとき、出発点は一つしかない。
顧客である。
顧客によって事業は定義される。
やさしい問いではない。
まして答えのわかりきった問いではない。
事業を定義することは難しい。
苦痛は大きく、リスクも大きい。
しかし事業の定義があって初めて、目標を設定し、戦略を発展させ、資源を集中し、活動を開始することができる。
■ 「どん底からの成功法則」
誰にも、「おっ、これは儲かるかもしれないな」と一瞬思ってしまうおいしい話に出会うことがあるものです。
ところがそう思ってしまったら最後、損得勘定で物事を見ると、それは必ず失敗してしまいます。
判断を下さなくてはならないという場面で、人はどうしてもこれは自分にとって得となるだろうかということを考えてしまいます。
「欲」というのは、たしかに自分を突き動かしてくれる原動力になってくれます。
しかし、その「欲」を判断基準にしてしまうと、損得勘定でしか物事を見ることができなくなってしまうのです。
目先の損得を見ているかぎり、人を見たらお金と思えということになります。
いくら品性下劣な人でも、お金の面で得だと思うと、いい人に見えてしまい、お金の仮面の下にあるその人格やホンネは見えてきません。
お金の面だけではありません。
この人とつきあっておくと偉い人に紹介してもらえる、人脈ができる、などと損得で人間を見ていると、その人は単に人を紹介してもらうための道具になってしまい、その人自身がもっているいいものも見えなくなってしまうのです。
会社で社員を雇うときも、どうしても会社に直接的な「得」になるような人間を採用しようとしまうことが多いと思います。
「こいつがいると売上が伸びそうだな」「こいつ能力ありそうだな」「こいつは学力もあるし、いいぞ」とさまざまに会社の得を思うのです。
なぜ人を正しく見ることができないのかというと、それはこちらの損得勘定が頭にあるからです。
「欲」を物事の判断基準にし、損得勘定で見ると視界が曇ってしまいます。
欲というフィルターが真実を覆い隠し、欲によって理性の声はかき消されるのです。
他人から見れば単なる失敗に思えるような経験も、自分にとっては、その失敗に至る経路の中でとったひとつの策が、今度は成功するための道順になることだってあるのですから、いま何らかの悩みを抱えていても何も心配いりません。
どん底という状況は、ひとつでも多くの選択肢を増やすことのできるチャンスにほかならないのです。
■ 「借金なんかで死ぬな!」
自営業という立場は過酷です。
大企業の社長の場合、責任の範囲がはっきりしていますので、会社を経営破綻に導いても基本的には社長をクビになる程度で済みますが、自営業者の場合、事業資金の借入を社長個人が連帯保証している場合がほとんどであり、中には奥さんの実家を担保提供していたり、個人名義のカードローンで資金繰りしていることも少なくないので、倒産すれば債権者から個人資産の処分まで求められるのが当たり前です。
事実上の無限責任ですね。
このため、自営業者にとっては「事業に失敗すること」は「ほぼ全ての資産を失うこと」とイコールなのです。
借金苦で自殺や夜逃げをする人は、サラリーマンよりも自営業者のほうが割合としてはるかに多いように見受けられます。
最も自殺に結びつきやすいのは、負債総額にして500万円から5億円まで、平均して1億円以下の人が最も危険ではないかと感じています。
このあたりの層が最も「個人」と「会社」の区別をつけにくく、かつ、頑張って返そうと思えば返せてしまうので(それこそ生命保険までもアテにして)無理してしまいがちであり、かつ、情報源にも恵まれず、孤独な状態で行き詰っているからだと思われます。
過酷な自営業といえども、倒産回避の方法は数多くあります。
どんな末期症状でも、解決の道筋は最低でも2、3通りはあるものです。
大事なのは、「意識」と「知識」の両輪です。
極論すれば、ギブアップして清算・廃業のための諸手続きに入らない限り、たとえどんなに倒産寸前状態であっても、会社も事業も続けられます。
良いか悪いかは別として、そうやって生き残っている会社も数多くあります。
単に「倒産せずに会社を続けたい」というだけなら、べつにジタバタしなくても誰にでもできるのです。
もちろん苦しみは続きますが。
選ぶのはあなたの自由です。
諦めず挑戦してもいい。
あるいは何をやってもダメだと悟って「勇気ある撤退」を決断してもいい。
撤退を決意するには人一倍勇気がいります。
失うものも大きいでしょう。
でも、何度でもやり直しはできます。
いちど失った信用は取り戻せます。
中長期的に経営体質(とりわけ財務体質)を改善することができまれば、たとえ社長がブラックリスト入りしていても、不渡りを出したことがあっても、金融機関から低利の無担保で運転資金を融通してもらえる可能性は十分あります。
経営破綻して民事再生法などを申請した企業に融資する制度さえあるほどです。
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うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ〜 (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
ううーむ・・・
それぞれの言葉の意味がわからなければ
気づけないこと、気がつかないこともあるけど・・・
それぞれの言葉の意味だけを見ていても
それぞれの言葉の違いだけを見ていても
気づけないこと、気がつかないこともある
んじゃーないかな〜???
なーんて、感じません? (^^)
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【追伸2】
「三方よしって、何???」
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■ 三方よしって、何だろう?
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- 会社の方針に納得できる時、納得できない時の違いって何だろう?(2)
- 従業員に危機感を持たせる、危機感を煽るメリットやデメリットって何?(3)
- 人的資源とは?ヒューマンリソースマネジメント(HRM)って何のため?
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