いろんな意味で考えさせられるコトもあるんですけど・・・
ンーン (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン
「三方よしの経営相談」、「組織人事戦略(戦略的な組織づくり)」、「人材育成戦略(戦略的な人材育成)」、「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」などなどのお手伝いを行なっているからなのか・・・
一見、全然関係ないように思えるかもしれないけど、コレってもしかしたら・・・
■ 後継者の孤独とは?2代目や3代目など中小企業次期社長ならではの苦労って何だろう?
■ 「創業社長と二代目社長等の後継社長の感覚って何がどう違うんだろう?」シリーズ
■ 「子どもが跡を継ぎたい会社、跡を継ぎたくない会社の違いって何だろう?」シリーズ
■ 「社長が自分の子どもに会社を継がせたい、継いで欲しい理由って何だろう?」シリーズ
■ 社長自身がうつ病になったり心が折れたりする前にできることって何だろう?
■ 「事業承継とは?中小企業の経営で本当に引き継ぐ必要がある事って何だろう?」シリーズ
などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも〜???
なーんて、感じることもあるので・・・
一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。
ちょっと興味あるかも〜?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。(^^)/
んーと・・・
まずは、例えばこんなのから考えてみるのはどーでしょう?
■ アイデンティティ(アイデンティティー)とは?
○ ウィキペディア
アイデンティティとは自己を確立する要素の事である。
その要素が共通のものであるなら「共通点」異なるものなら「相違点」と言い表すことが出来る。
○ コトバンク
自我によって統合されたパーソナリティと社会との関わりを説明する概念。
同一性,主体性,帰属意識などと訳される。
自我によって統合されたパーソナリティが,社会および文化とどのように相互に作用し合っているかを説明する概念。
○ Weblio辞書
自我同一性。
「本人」あるいは「そのもの」であることの自他による確認。
他社、競合商品との識別・差別化と好ましいイメージ形成を可能にする個性(づくり)。
主体性、独自性、同一性。
デザインの段階で発想自体にデザイナーの独創、独自性をもたせる意味で使う場合のアイデンティティと、特定のモデルやブランドとしての継続性、または製品グループとして同一性や独自性を考慮する場合のモデル・ブランドアイデンティティ、あるいは企業としての同一性を意図する場合のコーポレートアイデンティティなど、いろいろな局面で使われている。
○ 10分でわかるカタカナ語
「あるものがそれとして存在すること」、またそうした認識をさします。
「同一性」「一致」のことです。
アイデンティティーは、広義には、
「同一性」
「個性」
「国・民族・組織などある特定集団への帰属意識」
「特定のある人・ものであること」
などの意味で用いられます。
ビジネス、カウンセリング、コンピューター、ジャーナリズムなど分野にかぎらず広く用いられる言葉です。
例えば、「企業としてのアイデンティティーの確立」、「日本人としてのアイデンティティー」といった使い方をします。
同姓同名でも私は私 SFなどでクローン人間が出てきても、結局、複製でも「完全に同一の人間」ではありえない、という結末に落ち着くようです。
例えば、同姓同名が何人いても、「私」は私一人しかいません。
こうしたことを規定する基礎となるのが、アイデンティティーという概念です。
■ 自我とは?
○ goo辞書
1. 自分。自己
2. 哲学で、知覚・思考・意志・行為などの自己同一的な主体として、他者や外界から区別して意識される自分
■ 同一性とは?
○ ウィキペディア
同一性(英: identity)は、他のものから対立区分されていることで変わらずに等しくある個の性質をいう。
同一性は西洋の伝統としての哲学上、もっとも重要な概念のひとつであり、同一性によって、あるものは存在ないし定在として把握される、あるいは定立される。
■ 自己同一性とは?
○ ウィキペディア
自己同一性(英: identity)とは、心理学と社会学において、ある者が何者であるかについて他の者から区別する概念、信念、品質および表現をいう。
当初は「自我同一性」(英: ego Identity)と言われていたが、後に「自己同一性」とも言われるようになった。
時にはアイデンティティもしくは同一性とだけ言われる事もある。
「自分は何者か」
「自分はどんな人生を歩みたいか」
「自分はどんな仕事がしたいのか」
「自分の趣味は何か」
「自分はどうして生きているのか」
といった問いを通して、自分自身を形成していく。
そして、「これこそが本当の自分だ」といった実感のことを自我同一性と呼ぶ。
自我同一性を獲得するために社会的な義務や責任を猶予されている準備期間を心理社会的モラトリアムと言う。
自我同一性がうまく達成されないと、「自分が何者なのか、何をしたいのかわからない」という同一性拡散の危機に陥る。
自我同一性は青年期だけの問題ではなく、中年期や老年期において何度も繰り返して再構築されるものなので、上手く行けばアイデンティティは構築されたまま人は過ごす事が出来るが、上手く行かない人は人生において何度もこの同一性拡散を経験して、二次的に精神病理にまで落ち込んだり、人生の停滞を経験する事となる。
■ 個性とは?
○ コトバンク
個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。
個人性。パーソナリティー。
○ ウィキペディア
個性とは、個人や個体の持つ、それ特有の性質・特徴。
特に個人のそれに関しては、パーソナリティと呼ばれる。
■ ナショナル・アイデンティティ(ナショナル・アイデンティティー)とは?
○ コトバンク
国民意識。
民族的帰属意識。
○ ウィキペディア
ナショナル・アイデンティティあるいは国民意識とは、国民としての自己認識のことをさす。
アイデンティティは、他者と比較しなければみえてくるものではなく、ナショナル・アイデンティティーの場合、他者とは外国や他文明のことをさす。
■ アイデンティティ・クライシス(アイデンティティー・クライシス)とは?
○ コトバンク
1. 自己認識の危機
2. 民族や国民などの集団が歴史の転換期に、自己認識の混迷に陥ること
○ goo辞書
自己喪失。
自己同一性の喪失。
「自分は何なのか」
「自分にはこの社会で生きていく能力があるのか」
という疑問にぶつかり、心理的な危機状況に陥ること。
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で・・・
次に、例えばこんなのからも考えてみるのはどーでしょう?
■ 「本質を見抜く「考え方」」
「自分はいったい何者であるのか」を知り、自分の自画像をはっきり持てば持つほど、ものごとに対して、効率的に対処できるようになります。
とくに「精神の安定」は重要で、自分が何者であるかというアイデンティティが精神を支える根幹の部分を形づくります。
もちろん、それにとらわれすぎてもいけませんが、けっして甘く見てはいけないものです。
アイデンティティという考え方は、どういう姿勢や気持ちで使われるかによって、持っている意味合いに雲泥の差がでます。
たとえば、日本人ということでいえば、後ろ向きの心で考えるときは、「どうせそういう国民性だから」と、都合のいい言い訳になってしまいます。
いまさら変えることなどできないのだから「しょうがない」と、後ろ向きでとらえるか、それを誇りや安心感としてとらえ、自分の「パワーの源」にするかは、結局、自分の心のあり方次第です。
■ 「潰れない生き方」
ちょっとした困難に直面して、
「どうせ自分なんて・・・」
「何をやってもムダだ・・・」
と、自分の心を雑に扱い潰してしまう人が増えています。
また、ちょっとしたことに苛立ち、周囲の人に当たってしまう。
このように自分の心を傷つけ、自分を雑に扱ってしまう人の根底には、自分を肯定し、認められないという心理があります。
この自己肯定感がないと、常に不安な感情が心のどこかにある状態になります。
さらに、自分が肯定できないと、他者を肯定したり、認めたりすることもできません。
なぜなら、自己肯定感がないゆえに自分の良い部分があってもフィルターをかけて否定的にみてしまい、そのフィルターをかけたまま他者の行動も見てしまうからです。
問題は、そのような人が他人から受け入れられているかどうかです。
心の底から受け入れてくれる人はまず現れないでしょう。
自分を認めてくれる人が現れないと、人は自分に自信をなくしていきます。
いくら頭の中で「自分はすごいやつだ」と思っていても、それを誰も認めてくれなければ自信を維持し続けることは困難です。
だから、最後はどんな人にも、自分を受け入れ、認めてくれる存在が必要なのです。
自分を信じ、自分の味方になってくれる存在が必要なのです。
そういう存在がいるからこそ、どんなにつらくても自分を見捨てず、踏ん張ることができるのです。
自分の居場所は、自分を必要としてくれる人が見つかって初めてできるもの。
そのとき自己肯定もできるようになるのです。
人のことに関心をもたず、自分のことにも関心がもてない。
だから、自分も人も大切にすることができない。
こんな人たちばかりの社会で、お互いがお互いを追いつめているのがいまの世の中です。
そんな一人ひとりの心をラクにしてくれる組織や社会に変えていく必要があります。
■ 「希望格差社会」
近代社会においては、仕事は、人間にとって2つの意味をもっている。
一つは、経済的に生活をするために不可欠のものとしての仕事である。
働かなければ収入が得られず、まともな生活はできなくなるという意味での仕事であり、これは、人間史上共通の理解であろう。
それに加えて、近代社会になると、仕事のもう一つの意味がクローズアップされてくる。
それは、仕事が「アイデンティティ」の一つになっているということである。
したがって、現在日本社会で生じている失業やフリーターの増大は、単に経済的生活問題だけではなく、職を失った人や定職に就けない人々のアイデンティティを脅かす要因となっている。
企業や社会から「いてもいなくてもよい存在」であると宣告された人々は、どのように考えるのだろうか。
つまり、社会から見捨てられているという感覚に陥るのである。
その中から、反社会的行動に走る人が出てきてもおかしくない。
そして、現在その兆候が見られるのである。
職業の不安定化は、人々のアイデンティティ問題を介して、社会秩序の不安定化の問題までつながっていくのである。
日本で職業が不安定化しているのは、一時的な不況のせいではなく、産業システムの構造変動にその理由を求めなくてはならない。
また、選ぶ自由があるからといって、望む選択肢が実現するとは限らない。
若者に関しては、不安定な職を「選ばざるを得ない」状況に追い込まれている。
若者の意識変化は、そのような状況に適応した結果生じたのであって、その逆ではないことを強調しておきたい。
■ 「「上から目線」の構造」
チンパンジーの鏡像実験は、私たちの自己理解に関して、有益なヒントを与えてくれる。
私たちは、いろんな人とのやりとりを通して、「他の人から見ると、自分はこんなふうに見えるんだ」ということがわかるようになる。
人間関係が希薄化すると、他人を鏡とする機会が少なくなる。
ゆえに、自分がわからなくなるのである。
人間関係の希薄化によって、他人が得たいの知れない存在になり、「他人が怖い、他人がわからない」という心理が広まった。
それと同時に、アイデンティティの拡散、つまり「自分がわからない」という心理が蔓延してきた。
じつは、この「他人が怖い、他人がわからない」心理と「自分がわからない」心理は、表裏一体をなすものなのである。
■ 「それでもブランド品を買いますか?」
来る日も来る日も、トップスもボトムスも違えば、アクセサリーの好みも異なる”一見、個性派”に見える数十人、多いときには百人を越える日本人の集団が、口を開けば判で押したように、同じバッグを求めてくる。
まるで、「金太郎アメ」のように、あるいは姿形は多少違っても同じDNAから生まれた「クローン」のように。
もし、あなたが直営店のスタッフだとして、民族大移動のように集団でやって来る、没個性で、没ファッションを絵に描いたような極めて風変わりな不気味な「客」に、まともな接客などできるだろうか。
残念なことだけれど、僕の知り合いの中にも、日本人観光客を見ると、露骨に嫌悪感を表情に出す直営店スタッフが少なくない。
さらに悲しいことに、僕はそんなスタッフを説得する言葉を持てないでいる。
街中を歩けば、今日もLとVのロゴマークがどこにも氾濫していて、同じアイテムのバッグを持っている女性と何人すれ違っても、まったく気にする風もない。
ところが、スーパーのバーゲンで手に入れた洋服だと事態は一変して、同じ洋服を着た女性とすれ違うだけで、お互いに気恥ずかしい思いをすると聞く。
国産のバッグのほうが安価で、耐久性にも優れ、しかも使い勝手にも優れたモノが多いように感じている。
それなのに、ある特定のアイテムに数万という人たちが群がってくる。
僕はいまだにその本当の理由が理解できないでいる。
■ 残業を禁止しても「日本人の生産性」はあがらない
「ワークライフバランス」が現場にとって重苦しい。
強制一斉退社、残業禁止、休日出勤禁止、以上。
個人がワークとライフをバランスできるようにするのではなく、会社が個人のワークとライフを無理やりバランスさせる。
境界線を引く。
もちろん、カルチャーを変えるには荒治療も大事。
強制も一時の薬かもしれません。
しかし、個性が一切無視されている。
人によって、仕事のタイプによって、生産性があがる時間帯も環境も異なります。
朝は仕事が捗らない人まで無理やり朝出社させたり、オフィスでないと仕事に集中できない人に無理やりテレワークさせたり。
本人の主体性を無視した強制が正しいといえるでしょうか?
個人に「やらされ感」しか与えず、モチベーションも生産性も低下する。
一方で、昨今日本企業が掲げている「ダイバーシティ」と相反します。
生産性。
この観点がすっぽり抜け落ちているのです。
■ ママたちのアイデンティティ・クライシス
「〇〇ちゃんママ」と呼ばれて返事をした瞬間、私は今まで作り上げてきた私という存在をすべて失ったような気がしたのです。
これからは「ママ」と一まとめにされるのかな...... と不安と虚しさを感じました。
「アイデンティティとは、以前の自分も今の自分も一貫して同じ自分であると自覚すること」という考え方です。
つまり以前の自分と今の自分が違うと感じる状態に人は誰でも不安を感じ、混乱するのです。
こうした自己が揺らぐ状態や見失う状態は
「アイデンティティ・クライシス」
「アイデンティティ拡散」
と呼ばれます。
多くのママがそうだと思いますが、私も出産したその日から、これまでとまったく違う日常に驚きました。
なにより辛かったのは赤ちゃんのお世話で過ぎていく単調な毎日でした。
以前はあんな仕事をした、こんな風に自分の時間を過ごせた、でも今の私は忙しいだけで何も生み出していない...... と授乳しながら涙が出そうでした。
もちろん子どもはとてもかわいいのです。
子育て自体が嫌なわけでもないのです。
でも、あの頃に戻りたいという気持ちがいつも心のどこかにありました。
まさにアイデンティティが揺らぐ日々でした。
アイデンティティが揺らぐ状態に平気な人はいません。
自分が自分でなくなるような不安や焦りから、過去の成功体験にすがったり、自分の生き方以外を批判したり、反対に自己嫌悪に陥ったりなど、それまでなら考えられないようなこともしてしまうのも、すべて不安定な自分を守るためです。
例えば、これまでと何も変わらないと思いたくて「私はママなんて呼ばれたくない!」と意固地になったり、逆に不安定な状態に耐え切れず「ママこそが最高の生き方!」と他のアイデンティティを排除してしまいたくなることもあるかもしれません。
でも大切なことはどちらが正しいかではなく、自分はアイデンティティが揺らぐほどの大きな変化の中で日々一生懸命生きているということ、そして周りの人もそうだということです。
アイデンティティの明確な定義は難しいとされていますが、日常的な言葉で表現すると、
「これこそが私」と自覚できていること、「この自分でいいんだ」という自己肯定感と「これからもこの自分でやっていける」という自信があること、「この自分はまわりから受け入れられているし、社会にとって意味のある人間である」という自己存在感や有用感をもてることです。
つまり自分に対する安定した信頼がベースにあります。
しかし、子どもが産まれてしばらくの間、自分への信頼なんて持てないのが普通ではないでしょうか。
育児は思い描いていたようにはいかないし、家事は片付かないし、とにかく休めなくて心身ともにボロボロという時期が誰にでもあると思います。
しかも過酷な新生児期を過ぎても育児は一気に楽になるわけではないですよね。
こんな状態で、この自分でいいんだ、これからもこの自分でやっていける、とはなかなか思えるものではありません。
誰にとっても、子どもを産んですぐに「ママでもある自分」というアイデンティティを確立させるのは難しいことなのです。
私の周りにもママと呼ばれると、一瞬自分のこと? とすぐに反応できないという友人がいますが、別に子どもと過ごす時間が足りないとか、本当はママになったことを受け入れられていないとかいうことではなく、単に「ママでもある自分」というアイデンティティが確立途上というだけだと思います。
きっとこの先、子どもと一緒の生活に慣れ、いろんな成功と失敗を繰り返しながらだんだん確立していくものなのでしょう。
アイデンティティ・クライシスは時が解決してくれるのかもしれません。
今まさにアイデンティティ・クライシスの中にいるママには、そのもやもやや不安は、頑張りが足りないからでもなければ子どものせいでもないよ、と伝えたいのです。
もやもやするのはもう十分頑張っている証拠です。
少し立ち止まって、過去の自分も今の自分も、いろいろあるけど両方いいものだと認めてあげてみてはどうでしょうか?
アイデンティティ・クライシスの先には、きっともっと幸せな未来が待っています。
■ 日本が「ハーフ」にとって生きづらい国だって知ってました?
ハーフは誰もが美人でバイリンガルという先入観が、多くのハーフを苦しめているという。
ハーフといっても多種多様であり、男女を問わず、一様に日本人が考えるところの「美人」ではないし、日本生まれ、日本育ちだったり、逆に外国生まれ、外国育ちの人も多いので、決して誰もがバイリンガルとは限らない。
外国語、とりわけ英語が喋れなかったり、日本人の目には必ずしも美男、美女とは映らないタイプのハーフは、日本社会で逆に大きなハンディを背負わされることになる。
例えば就職でも、純ジャパにとっては外国語を喋れることは大きなプラスの評価対象になるのに、ハーフは外国語が喋れて当然と思われているため、逆に外国語が喋れないハーフは「ハーフなのに外国語ができない」ということで、むしろマイナス評価になる場合が多いのだという。
それ以外にも、外見がハーフというだけで、初対面の人に親の国籍だの両親の馴れ初めだの、自分は親のどっちに似ているかなどのプライベートな事をあれこれ聞かれるのが定番になっている。
英語ができないハーフが、レストランやファーストフード店で英語のメニューを見せられて当惑する事も日常茶飯事だそうだ。
実際は日本生まれ、日本育ちのハーフの多くが、自分はただの日本人だと思っている。
にもかかわらず、そのような特別な扱いを受けることで、日本を自分の「故郷」とは思いにくい。
しかし、かといって、もう一つの母国には住んだこともないし、言葉もできなければ、友達もいない。
そんな国を自分の故郷と思うことは難しい。
日本生まれ、日本育ちで、日本語しかできなくでも、外国人の血が混じっているというだけで、普通の日本人として扱ってもらえない疎外感を感じているハーフは多いのだという。
結局のところハーフの生きにくさの問題は、日本人が「何が日本人なのか」と考えているかの問題に帰結する。
■ ハーフでも、ダブルでもない。私は、わたし
幼いころは、「見た目が違う」ことを理由に、周囲の人たちから心無い言葉を投げられた。
肌の色や、父親のことを揶揄するものだった。
どこかで「自己肯定」ができていない状態は、大人になっても続いていた。
たとえば、視線を感じる人混みが苦手、という点でも。
「今でも言われることもありますよ」
「日本語は通じるの?とか」
「日常の些細なことで、言われるんですよね」
「ちょっとでも見かけが違うだけで、外国人にされてしまう」
「それが、日本なんです」
3人の子どもがいる。
自分に似た長男は、小学校で同級生から、やはり同じような言葉を投げつけられてきた。
「小さい頃はこんな社会は変わると思っていた。けれど、変わらなかったんですよね」
「ハーフ」や「ダブル」という言葉が飛び出してきたことがあった。
「こういう言葉って、聞きたくない」
「後ろから石が飛んできたような気持ちになる」
「私はダブルでも、ハーフでもありません」
「私は私なんです」
ハーフだから苦労した、かわいそう。
そんな物言いにも、違和感を覚えた。
他人から勝手に判断され、差別された結果として付けられるレッテルに過ぎないからだ。
「マイノリティという存在は、他人が与えるものなんです」
「人を見た目で、カテゴライズする社会にしないでほしい」
■ 「あなたは何人ですか?」グローバル化におけるアイデンティティの分裂
「あなたは何人ですか?」という質問に対して私は困る。
「あなたは何人ですか?」という質問は私の大嫌いな質問である。
私自身は、ロシア人のステレオタイプに合わせて作られたような見た目をしている。
しかし、日本で生まれ、日本で育っている。
目をつぶって話してみたら本当に「ザ・関西人」。
びっくりするくらい達者な関西弁を使う。
家の中ではもちろんロシア語で、ロシアの文化の中で育ったけれど、公立の幼稚園、小学校を卒業して、日本人の友達と、日本語でコミュニケーションして、日本の文化を吸い取って、外にいる時は(見た目以外)完璧な日本人。
本当にロシアと日本の中間で育ったわけですよ。
日本において、私みたいな人は、ごくマイノリティであるし、そこまで重要な問題でもないかのように思われる。
しかし、グローバル化の産物として、いわゆる「ハーフ」や、帰国子女、日本人ではあるけど、「日本人」ではない人、外国人ではあるけど、本当は「日本人」である人、たくさんの新しいパターンが増えてきている。
国籍だけで、その人のアイデンティティが構築されにくい時代になってきている。
「あなたは何人ですか?」というシンプルな国籍を知ろうとする質問は、答えてしまえば、その人の帰属やアイデンティティにバイアスが欠けてしまう。
「あなたは何人ですか?」
そんなシンプルに答えられる質問ではないと、私は感じる。
■ ナショナル・アイデンティティの決定要因とは
「誰が本当の国民の一員なのか」を人々はどのように判断しているのだろうか。
各国で最も重要度が高い要素は「母国語を話すことができる」ことであった。
なお、要素の重要度は「非常に重要である」と回答した割合によって判定しており、日本は70%、米国も70%、カナダが59%、オーストラリアが69%、ヨーロッパ中央値が77%という結果であった。
一方で、「その国で生まれていること」というのは相対的に重要度が低いようだ。
日本は50%、米国が32%、カナダが21%、オーストラリアが13%、ヨーロッパ中央値が33%という結果だ。
日本は、生まれた場所という要素を他国に比べて重視している傾向が見えるが、それでも「母国語を話すことができる」という要素より重要度は低い。
また、生まれた場所という要素は年齢層が高くなるほど重要になるようで、日本では50歳以上は59%であるのに対して、35〜49歳は45%、18〜24歳は29%が非常に重要だと回答している。
幼少期の大半を海外で過ごした帰国子女が、自身のナショナリティについて悩むという話をよく聞くが、往々にして自身の日本語に自信を持っていなかった人が多かったように思い出される。
帰国子女の不安定なナショナル・アイデンティティは、多くの人が母国語で違和感なく通じ合えることにナショナル・アイデンティティを求めていることの一つの現れなのかもしれない。
■ 「日本人」を定義してみてください
そもそも「日本人」とはどう定義できるのでしょう?
恐らく多くの方が最初に思いつくのは、「日本国籍を持っている人」あるいは「日本国籍しか持っていない人」でしょう。
日本人(多くは父親)とフィリピン人(多くは母親)から生まれた人(新日系フィリピン人)は国際移住機関(IOM)が2008年から2011年に行った調査によると、最大で30万人程度いるとされています。
新日系フィリピン人の多くは、日本人父から認知されていませんので「フィリピン国籍」しか持っていない場合が多いですが、中には、日本人の父親から認知され(あるいは両親が婚姻している状況下で生まれて)「日本国籍しか持っていない」(つまりフィリピン国籍を確認していない)人もいます。
名前も日本風の場合が多いですが、彼らの多くは、生まれも育ちもフィリピンで、日本語は一切分からず、日本に来たことも一度もありません。
でも日本国籍しか持っていません。
日本国籍を持って「日本人」として国連に勤務している人の中には、外国生まれ外国育ちで、日本語はほとんど話せず、立ち居振る舞いや考え方も食生活も、完全にアングロ・サクソン系という国際機関職員が少なからずいます。
でも彼らは日本国籍を持っています。
日本語を駆使している弁護士の中には、外国籍を有する方が増えてきています。
最近はアメリカ国籍、イギリス国籍、ベトナム国籍も出てきて、更に今年日系ブラジル人の若者が初めて司法試験に合格されたという素晴らしいニュースもありました。
一般の「日本人」よりも古語などに精通している外国籍の専門家も多いでしょう。
でもそのような方々は、現在の日本の国籍法上は「日本人」ではありません。
世界における国籍取得の原則には「出生主義」と「血統主義」があり、簡単に言えば、前者はその国で生まれた人は自動的にその国の国籍を保持することとなり、後者は親の国籍を子どもが継承することになるという原則です。
日本は完全に「血統主義」しか採っていませんので、少なくとも現在の国籍法上は、日本生まれであることと日本国籍を持つことは全く無関係です。
重国籍は問題視されないけれども出生地が最重要問題であるアメリカと、出生地は(少なくとも国籍法上は)重要でないけれども重国籍がこれだけ問題視される日本。
「国籍」やその根拠がいかに相対的で恣意的な概念であるかを、物語っていると言えるでしょう。
一般的に日本には、「より100%ピュアな日本人であればあるほど良い」のような「純血思想」とでも言うべき考え方が根強いような気がします。
日本も古来から、中国や朝鮮半島との往来が盛んでした。
日本文化や伝統の多くは、大陸から輸入されたものにその起源があります。
今、日本に住んでいて「私は100%ピュアな日本人だ!」と誇らしく思っている人こそ、DNA検査を受けてみたら良いのではないでしょうか?
出自というのは完全に「偶然」の結果です。
自分の能力や努力の結果で「日本人」として生まれてきた人は誰一人としていません。
それなのに、出自という偶然の賜物でしかないことに拘泥しないと気が済まない人は、少し厳しい言い方になるかもしれませんが、かえって自分自身が自分の努力や能力の結果で何かを成し遂げた経験のない人なのではないでしょうか?
生まれながらにして重国籍で生まれる人、外国で生まれる日本人、外国に移住する日本人、日本に移住してくる外国人、他国の国籍を取得しようとする日本人、日本に帰化する外国人がこれだけ増えている中で、日本の国籍法や従来の「日本人」という概念は明らかに現実から大きく遅れていると言えるでしょう。
■ 「日本国籍」取得した元米国人の斬新な本音
私は日本人になった。
もともとは米国人で、日本人の先祖すら持たない米国の家庭に育った。
日本人になることを選んだと同時に、二重国籍を禁じる日本の法律に従い、米国国籍を放棄した。
国籍を変更する理由は何だろうか。
私の場合、その答えは簡単だ。
私には日本に子どもがいて、日本を拠点とするキャリアがあり、大人になってからのほとんどの時間を日本で過ごしてきた。
いまや故郷より日本のほうがしっくりくるほどだ。
過去にも日本国籍を取得した有名人は何人もいる。
もっとも、日本国籍を取得する人の誰もが、花形スポーツ選手や有名人、文豪、政府関係者というわけではない。
帰化に踏み切ったもうひとつの理由は、永住ビザと国籍の違いだ。
永住資格も国籍も永久に日本に住み続けることができるため、はた目からは大した違いがあるようには感じられないかもしれない。
しかし、当事者にとっては、実はそこには重要な違いがある。
「外国人」として日本に滞在し続ける許可が政府から与えられるのが永住資格であるのに対して、国籍とは、それに伴う保護も含めて日本国民として滞在し続ける権利があるということだ。
ここでカギとなるのが、「許可」と「権利」である。
日本に生活の拠点を築いている人にとって、ビザは奪われたり、失効したりする可能性があることから、永遠にビザで滞在するという考えは不安定なのだ。
そのうえ、個人的レベルでいうと、国籍を取得するということは、永久によそ者として滞在する代わりに完全に日本社会の一部となる一歩を踏み出すということでもある。
国籍取得の問題について議論するとき、考えなければいけないのが、シリア難民についてだ。
彼らの多くは、内戦で分断されたシリアから命からがら逃げ出してきており、身分証明書すら持っていないケースが少なくない。
無事に亡命できたとしても、その多くは現在も国籍どころか、居住権すら得てない可能性がある。
加えて、5万人以上のシリア人の子どもが亡命先で生まれたとみられている。
これだけ多くのシリア人が国外へ流出している中、「国籍」はもっと現実的かつ実践的、そして柔軟に語られる必要性が生じてきている。
特に亡命先で生まれた子どもの場合、その多くは自らの故郷を知ることなく、新しい国で育つことになる。
しかし、その国で永住権、あるいは国籍を得られないかぎり、将来シリアへ強制送還される可能性もある。
こうした事態を避けるためには、シリア難民は亡命先の居住者または、国民として認められ、新たな社会の一員となる必要がある。
国籍とは実際のところ極めて複雑な概念で、「国籍(合法的にその国に所属すること)」と「民族性(言語、人種、地理的なつながりなど))」の違いを理解していない人は少なくない。
文化的背景や人種、伝統などはそれに付け加えられるもので、また別の問題だ。
日本人は国籍と民族性をほとんど区別しないとしばしば指摘され、日本人であることは、日本国籍と民族性の両方を持つ人を指すと思われている。
実際のところ今日の世界では、国籍はますます個人のアイデンティティとは関連性が薄くなっているのではないか。
グローバル化や、文化、思想の国際的統合に加え、世界中で人の移動が容易かつ盛んになっていることや、グローバル企業の台頭などによって、個人レベルでも、より自らの生活や思想などに見合った選択をする人が出てきている。
より多くの人が自らの意思で海外に移住し、そこで永住権を得たり、国籍を取得したりし始めているのである。
結局のところ、国籍の意味や意義は、客観的に語れるものではない。
国籍とは極めて個人的なものであり、また、個人の深い問題にかかわるものである。
そしてこれは、私のような、生まれてきた国とはまったく異なる文化に、その社会の一員として身を置きたい人たちにとっては、さらなる自由とより多くの機会を手にすることを意味する。
あるいは、亡命先で生まれたシリア難民にとっては、新たな国での出発を意味するかもしれないのだ。
■ 日本にも無国籍者がいることを知って
世界人権宣言第15条には、「すべての人は、国籍をもつ権利を有する」と明記されています。
しかし、その国籍を持たない「無国籍者」が、現在世界中に1000万から1200万人いると言われています。
正確な数字は分かりませんが、日本にも無国籍者の方が多くいると思われます。
法律上どの国の国籍も持っていないことが明らかな人もいれば、一方で、形式的には国籍を有していても法の運用から「無国籍状態」におかれている人もいます。
無国籍者になる理由は様々です。
たとえば、私の場合、横浜の中華街で生まれ、中華民国(台湾)の国籍と日本の永住権を持っていました。
しかし、1972年に日本が中国と国交を回復し、中華民国(台湾)の国籍を日本が認めなくなってしまったので、私たちは、日本に帰化するか、中華人民共和国(中国)の国籍を取得するか、あるいは無国籍になるという選択肢を突然つき付けられることになりました。
政治的対立とアイデンティティの問題に翻弄され、私の家族は無国籍になるという選択をしました。
ほかにも難民二世の子どもたちのケースがあります。
たとえば、ベトナム難民二世の子どもで、日本の在留資格は持っていますが、日本の国籍を取得しておらず、またベトナム大使館にも出生届を出していないため、ベトナム国籍も取得していないという、事実上の無国籍状態になっている方もいます。
また、国際結婚のもとに生まれ、両親の国籍国の法律や生まれた国の法律の衝突、出生登録の漏れによって、無国籍となった人。
さらに、国家の崩壊によって国籍を失った人もいます。
日本における戸籍とは、日本国籍の身分関係を登録・証明するもので、無戸籍の人は、何らかの理由でこの戸籍登録がされていない人を指します。
無国籍と無戸籍は、どちらも法的な身分証明が難しいという点では共通しています。
無戸籍の場合は身分証明が全くありませんが、無国籍の場合、中には、日本政府に外国人として登録され、「在留カード」や「再入国許可書」などに「無国籍」もしくは「○○国籍」と記載された身分証明書を持っている人もいます。
当事者の多くは、結婚や留学、旅行などの手続きが必要になるまで、自身が実は無国籍あるいは無国籍状態であることを知らずにいます。
自らの国籍の問題に直面した際に、はじめて自分が無国籍状態にあると知り、日本への帰化手続きを踏む方もいれば、他の国籍を取得する方など様々な方がいらっしゃいます。
無国籍者は、特に結婚や就職などの際に困難に直面することが多いといえます。
日本に居住している外国人の場合、結婚する際に「独身証明書」の提出が求められますが、無国籍状態の場合、どこの大使館からも独身証明書を出してもらうことができません。
そのため、無国籍者の中には、法的に結婚することができず、事実婚状態に陥り、その子どもも無国籍になるという負のスパイラルが生まれることがあります。
また、無国籍の場合、公務員など政府系の仕事に就くことができません。
また無国籍という理由で差別を受けることもあります。
■ 「生きる力をつける ドイツ流子育てのすすめ」
ドイツにはいろいろな国の人がいて、文化や宗教もさまざまだ。
イスラム教徒で豚肉の食べられない子どもがいれば、ベジタリアンの 子もいる。
アレルギーの子、宗教上の理由で頭にスカーフを巻かなければならない子など・・・
世の中にはいろいろな考え方があり、生き方がある。
それをまとめる役として学校は適していないのだ。
これを無理やりまとめようとすると、第二次世界大戦前のように、スパルタ式や全体主義的な教育をしなければいけなくなるかもしれない。
それをドイツ人はよしとしないのだ。
日本の教育現場を見て思うのは、「みんなと同じことをすれば、とりあえずは平等」ということだ。
同じ給食を食べ、同じ時間に同じ歌を歌い、同じランドセルをもって・・・
校則のもとでみな同じルールに従わされて、自由を奪われる。
これが平等だとされているように見える。
ドイツ人の考える平等とは、みんなで同じことをしたり同じルールを守ることではない。
それぞれの人にそれぞれのチャンスを与えることが平等なのである。
ドイツの公立学校はすべて税金で成り立っている。
すなわち、ただである。
比較的貧しくても、向学心があって頭がよければ、道は開かれているのだ。
これがドイツ人の考える教育現場での平等だ。
ドイツと日本の2つの国を比較して一見目につくのは「文化の違い」だ。
ドイツと日本は、つくられてきた歴史や文化が大きく違う。
だから、人の考えや生き方が違っても当然だ。
そういう意見があるだろう。
それはもっともだ。
ドイツと日本の両方の教育を受けてきた私は、文化の違いという一言では片付けられない何かがあると思ってきた。
そして、ここに来てはっきりしたこと・・・
それは、子どもの頃に学校で受けてきた教育やシステムの違いが、結果として考え方の大きく異なる大人をつくり出しているという事実だ。
大人になってからの考え方や生き方の違いは、親の教育にもよるが、他人との人間関係を築き、深める学校での十数年間の生活に大きく左右される。
みんなと一緒をよしとして教育を施す日本人は、「和」を尊び「恩」を大切にする。
それに対して、自立した大人をつくり出すための教育を受けてきたドイツ人は、「個」の意見を重視する。
そしてその大人の考え方や生き方の違いがまた、子どもへの教育として異なった形になっていく・・・
どちらの国の教育が正しいのかはわからない。
それぞれ短所もあれば長所もある。
ただ、その違いを知ってこそ、現状の教育のあり方の問題点が浮き彫りになってくることもある。
■ 「多文化主義とは何か」
多文化主義が提起する重要な問題の一つに、「差異」の問題がある。
差異をどう扱えばいいのか?
社会のシステムのなかで差異にどのような位置を与えるべきか?
差異とは豊かさなのか、貧しさなのか?
切り札になるのか、脅威になるのか?
差異という経験は、それ自体が価値となる。
なぜなら、差異の経験は個人が自らのアイデンティティから「距離」をとったり、他のアイデンティティの流れと比較しなが自らのアイデンティティを発展させることもできるからだ。
差異の経験と他者との出会いは、つねに豊かなものである。
なぜなら、それらは、アイデンティティが生じる条件そのものだからである。
だが、苦痛を伴い、破壊をもたらす経験でもありうる。
いままで抱いていた価値観やこれまで追求してきた目的の崇高さに対して疑いをさしはさむこともありうる。
多文化主義は、歴史上かつてなかった規模で諸々の差異が出会い混交するなかから生まれた結果だろう。
それは、困難に対する反動であり、変化の過程で生じる失敗に対する反動でもある。
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うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???
「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ〜 (〃▽〃) 」
という方も、いらっしゃれば・・・
「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」
という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?
他にも、例えば・・・
■ 「選択肢の広げ方や作り方とは?思い込みや方法論に走る前にできる事って?」シリーズ
■ 誰にも相談しない、相談したくない、相談できない理由って何だろうか?
■ 「やる気、向上心、チャレンジ精神などが持てる組織ってどんな組織?」シリーズ
■ 「内向きな組織とは?内向き志向とは?内向きな組織になる原因って何だろう?」シリーズ
■ 人材育成をマーケティング・コンセプトから考えると見えることって何だろう?
■ 「国籍で選考する会社、国籍で選考しない会社の違いって何だろう?」シリーズ
■ 「国籍に関する質問を外国人に日本人が質問してしまう理由って何だろう?」シリーズ
■ 「英語などの外国語の知識があってもコミュニケーションがとれない原因って?」シリーズ
■ 「外国人と話すには英語、海外では英語が必要って本当なんだろうか?」シリーズ
■ 「簡単な日本語、やさしい日本語、外国人が理解できる日本語って?」シリーズ
■ 「日本人の強みや弱みとは?外国人には真似できないことって何だろう?」シリーズ
■ 「日本人の生産性が低い理由って?生産性の向上ってどういう事なんだろう?」シリーズ
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■ 「自社の強みや弱み、長所や短所、状況や現状などの判断基準って?」シリーズ
■ 「強い組織の作り方とは?強い組織か弱い組織かの判断基準って何だろう?」シリーズ
■ 「組織じゃないとできないこと、組織でなくてもできることって何だろう?」シリーズ
などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)
ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・
まだ見えていないだけで・・・
意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお〜っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ〜♪
のかも〜???
なーんて、感じません? (〃▽〃)
どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?
というワケで・・・
「海外や日本の常識、グローバル化や国際化、グローバル人材などから自律的に考えて行動してみる」カテゴリとしては、
■ 「国籍に関する質問を外国人に日本人が質問してしまう理由って何だろう?」シリーズ
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【追伸】
「・・・で、答えは何なの???」と思った方へ
よろしければ、以下の記事も見てやっていただけると嬉しいです。(^^)
■ 「自分で考えて行動する「自律型人材」が育つ組織って?」ブログについて
■ 「答えが見つからない、探しても解決策が見つからない原因って何だろう?」シリーズ
■ 「自分で考える」と「独りで考える」って同じ?組織力などとの関係って?
■ 「自立」とは?「自律」とは?その違いって?自律型人材とは?
■ 「社長、上司、部下、会社組織にとって本当に必要な支援って何だろう?」シリーズ
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