2019年01月08日

日本企業の定義とは?強みや弱み、海外企業との違いって何だろう?

「日本企業の強みって、何なんだろーか??? ( ̄◇ ̄;) 」
「日本企業の弱みって、何なんだろーか??? ( ̄∧ ̄ ) 」

「日本企業ならではの強みって、やっぱこーゆーとかあーゆーこととかが思い浮かぶんだけど・・・??? ( ゜Д゜) 」
「日本企業ならではの弱みって、やっぱこーゆーとかあーゆーこととかじゃないのかな〜・・・??? (;゜д゜) 」

「ってゆーか、そもそも日本企業って何なんだろーか???日本企業の定義ってあるんだろーか??? (・_・;) 」
「経営者が日本人なら日本企業???日系企業も日本企業???外国企業とは何がどう違うんだろ〜??? ( ̄○ ̄;) 」

などなど、このような声をお聞きすることもあるんですが・・・
(`・ω・´)

んでもって・・・

「三方よしの経営相談」や、「自律型人材育成」「組織力の強化や向上」「経営に役立つ情報活用(IT活用・ICT活用)」のお手伝いを行なっているからか・・・

いろんな意味で考えさせられるコトもあるんですけど・・・
ンーン (( ̄_ ̄*)(* ̄_ ̄)) ンーン

こーゆー疑問って意外と大事

なのかも〜???

なーんて感じることもあるのと・・・
ヾ( ̄ω ̄〃)ノ

それに、コレってもしかしたら・・・

「自社の強みや弱み、長所や短所、状況や現状などの判断基準って?」シリーズ
「強い組織の作り方とは?強い組織か弱い組織かの判断基準って何だろう?」シリーズ
「日本の良さとは?外国人や海外経験のある日本人が感じる事って何だろう?」シリーズ
「日本人の強みや弱みとは?外国人には真似できないことって何だろう?」シリーズ
「日本人の生産性が低い理由って?生産性の向上ってどういう事なんだろう?」シリーズ
「英語などの外国語の知識があってもコミュニケーションがとれない原因って?」シリーズ
「外国人と話すには英語、海外では英語が必要って本当なんだろうか?」シリーズ
「グローバル人材とは何だろうか?グローバル化や国際化って?」シリーズ
「普通とは?一般的とは?当たり前とは?誰がどんな基準で決めるんだろう?」シリーズ
会社の寿命とは?人間の寿命や経営環境の変化などとの関係って何だろう?
子供を跡継ぎにするか迷う、跡を継がせるかどうか社長が悩む理由って何だろう?
「事業承継とは?中小企業の経営で本当に引き継ぐ必要がある事って何だろう?」シリーズ

などなどにも、ある意味関係するっちゃーする面もあるのかも〜???

なーんて、感じることもあるので・・・

一緒に考えてみません? (^^)
あ、モチロン、「自律的に」という意味で。

ちょっと興味あるかも〜?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。(^^)/

んーと、まずは・・・

そもそも、日本企業って何だろーか?
日本企業の定義って、何なんだろーか?

どんな会社だったら、日本企業なんだろーか?
どんな会社だったら、日本企業とは言えないんだろーか?

などなどについて、例えばこんなのから考えてみるのはどーでしょう?


○ オーナー経営者は日本国籍、従業員は全員日本国籍で、日本にある会社
○ オーナー経営者は日本国籍、従業員のうちの9割が日本国籍、1割が外国籍で、日本にある会社
○ オーナー経営者は日本国籍、従業員のうちの5割が日本国籍、5割が外国籍で、日本にある会社
○ オーナー経営者は日本国籍、従業員のうちの1割が日本国籍、9割が外国籍で、日本にある会社
○ オーナー経営者は日本国籍、役員や管理職は日本国籍、それ以外の従業員は全員外国籍で、日本にある会社
○ オーナー経営者は日本国籍、役員や管理職も含めて従業員は全員外国籍で、日本にある会社

○ オーナーは外国籍、経営者は日本国籍、従業員は全員日本国籍で、日本にある会社
○ オーナーは外国籍、従業員のうちの9割が日本国籍、1割が外国籍で、日本にある会社
○ オーナーは外国籍、従業員のうちの5割が日本国籍、5割が外国籍で、日本にある会社
○ オーナーは外国籍、従業員のうちの1割が日本国籍、9割が外国籍で、日本にある会社
○ オーナーは外国籍、役員や管理職は日本国籍、それ以外の従業員は全員外国籍で、日本にある会社
○ オーナーは外国籍、役員や管理職も含めて従業員は全員外国籍で、日本にある会社

○ オーナー経営者は日本国籍、従業員は全員日本国籍で、海外にある会社
○ オーナー経営者は日本国籍、従業員のうちの9割が日本国籍、1割が外国籍で、海外にある会社
○ オーナー経営者は日本国籍、従業員のうちの5割が日本国籍、5割が外国籍で、海外にある会社
○ オーナー経営者は日本国籍、従業員のうちの1割が日本国籍、9割が外国籍で、海外にある会社
○ オーナー経営者は日本国籍、役員や管理職は日本国籍、それ以外の従業員は全員外国籍で、海外にある会社
○ オーナー経営者は日本国籍、役員や管理職も含めて従業員は全員外国籍で、海外にある会社

○ オーナーは外国籍、経営者は日本国籍、従業員は全員日本国籍で、海外にある会社
○ オーナーは外国籍、従業員のうちの9割が日本国籍、1割が外国籍で、海外にある会社
○ オーナーは外国籍、従業員のうちの5割が日本国籍、5割が外国籍で、海外にある会社
○ オーナーは外国籍、従業員のうちの1割が日本国籍、9割が外国籍で、海外にある会社
○ オーナーは外国籍、役員や管理職は日本国籍、それ以外の従業員は全員外国籍で、海外にある会社
○ オーナーは外国籍、役員や管理職も含めて従業員は全員外国籍で、海外にある会社

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で・・・

次に、例えばこんなのからも考えてみるのはどーでしょう?


■ 日本企業とは?
Yahoo!知恵袋
日本国内で登記され、日本国内で活動しているのは日本企業。


はてなキーワード
1. 日本国内で登記されている企業
2. 1の海外現地法人、或いは1が出資している海外企業

「日本企業」といっても、かならずしも日本人が経営している企業を意味しない。


■ 日系企業とは?
goo辞書
外国で活動する日本企業。
また、資本の一定割合を日本企業が支配している企業。


Yahoo!知恵袋
元々は日本発祥だけど、外国で登記され活動しているのは日系企業。


日系企業定義
本邦企業(いわゆる右海外子会社、孫会社を含む)(または日本人)が出資している海外の企業を指します。

日系企業は、

・本邦企業(現地法人化されていない日系企業)
・現地法人化された日系企業

の二つに大別されます。


【本邦企業(現地法人化されていない日系企業)】
日本国内に登記されている(本社がある)企業(除く外国企業の日本法人)を指します。

・本邦企業の海外支店」
・駐在員事務所、出張所など

の二つに区分されます。


【現地法人化された日系企業】
本邦企業(いわゆる右海外子会社、孫会社を含む)(または日本人)が出資している海外に設立した現地法人を指します。

・本邦企業が海外に設立した現地法人」
・日本人が海外に渡って興した企業」

の二つに区分されます。


■ 外資系企業とは?
コトバンク
ある国で活動する外国の企業。
また、資本の一定割合を外国企業・外国人投資家が支配している企業。

日本に進出している外国資本と関係の深い次の4種の会社の総称。

(1) 外国法人
(2) 外国人が資本金を全額出資して設立した純外資会社
(3) 日本の法人または日本人が,外国法人または外国人と共同出資して設立した合弁会社
(4) 外国企業が既存の日本の企業の株式を取得した外資導入会社


Yahoo!知恵袋
外国企業はその名の通り外国の法人であるのに対して、外資系企業は外国の法人が親会社または関係会社(正確には株式の持分が3分の1以上)の、あくまで日本の企業となります。

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んでもって・・・

例えばこんなのからも考えてみるのはどーでしょう?


「新・日本の経営」
日本はきわめて豊かで、類をみないほど社会が健全な国である。
社会がこれほど洗練されている国は珍しい。

人々は誰にも強制されることもなく、礼儀正しくふるまっている。
国際政治の舞台でも、武器を輸出せず、軍事力を行使すると脅すこともなく、経済支援と人道支援を世界各国に提供している。

世界には誇張のタネがきわめて多いが、日本社会には民族、宗教、階級の違いで社会対立の大きな源泉になるものはとくにない。
波風がたたないわけではなく、見方や考え方の違いはあり、対立が爆発する場合もある。

だが、社会が混乱することは少なく、抗議行動やデモは規模が小さいし、激しいものにならない。
ほぼどの指標でみても、経済と社会は異例なほど健全だ。

日本は第二次世界大戦で完全に敗北し、極端な貧困に苦しんだが、わずか50年ほどで経済大国になり、大きな富を築いた。

もちろん、ここまでの成功をもたらした要因はいくつもある。
だが、真の原動力は日本の民間企業であった。

日本の企業は社会組織、社員の共同体であり、共同体の全員が将来にわたって幸福に生活できるようにすることを目標にするとともに、十分な業績を達成しようと努力している。
こうした考え方から、1950年代に「日本的経営」が確立するようになった。

合意に基づく意思決定、終身雇用制、年功制に基づく昇給と昇進、そして社員全員がひとつの労働組合に所属する企業内組合が日本的経営の柱である。

日本の企業は株主と経営者に報いることだけを目的とする経済組織ではない。
英米には企業はすべて株主のものだという奇妙な見方があるが、日本ではこの見方は通用しない。

日本企業では第一の利害関係者は会社に所属する人たち、社員なのだ。

日本企業は何よりも社会組織である。
企業を構成する人間が経営システムの中心に位置している。

会社ではたらく社員が利害関係者の中心である。
会社という共同体を構成しているのは、社員なのだ。

日本ではほとんどの国と違って、企業の生命がきわめて長い。

ここまで長寿の会社が多い事実は、日本の会社が家業でない場合にも、自己の存続を目的とする共同体であることを示している。

日本企業は売買の対象になる物理的な資産の集合体ではない。
社会組織なのであり、構成員の生活のために長く生き残ることを目標にしているのである。


「現場力復権」
同じ日本人が社長をつとめ、同じ日本人が現場での業務を担いながら、どうして現場力の格差がここまで拡がってしまったのだろう?

経営トップは「現場重視」の方針を打ち出していながら、どうしてその思いは組織内に浸透しないのだろう?

現場力強化を推進する中核であるべきミドル層が、どうして冷めてしまっているのだろう?
現場力強化の取り組みは、どうしてグループ企業や海外の拠点にまで拡がらないのだろう?

「現場力強化」を謳いながら、多くの企業はどうしてその取り組みが、一過性的な運動で終わってしまうのだろう?

「現場力が最も大切」と言いながら、どうして過剰な非正社員化を進めたり、過度なアウトソーシングをおこなうなど、現場力を削ぐ動きが続くのだろう?

日本人の「現場」という言葉に対する愛着は深い。

経営を考える際に、常に現場を起点にしようとする意識は日本人ならではの特性であり、日本企業の競争力を支える精神的支柱でもある。

日本企業がもつ「現場力」は独自の優位性の源泉であり、「日本の宝」だと断言できる。
しかし、日本企業の屋台骨であるべきこの現場力に、企業間の「格差」が生じている。

品質の劣化、コスト競争力の低下、安全の軽視、サービスの低下、さらには不祥事の発生など、現場力の劣化を起因とする問題は、間違いなく増加傾向にある。

そしてそれが、企業の業績の低迷にもつながっているのだ。

言うまでもないが、日本企業だからといって、何の努力もせずに現場力が自動的に備わっているわけではない。

現場力という組織能力は、一朝一夕には実現できない。
地道な活動を粘り強く積み重ね、一歩一歩自分たちの組織能力を高めていくという不断の努力なくしては、現場力を手に入れることなど不可能である。

「コア・コンピタンス」は、一朝一夕に出来上がるものではない。

「コア・コンピタンス」という「果実」を手に入れるためには、まずその「土壌」となる現場力を磨く努力が不可欠なのである。


「日本の競争戦略」
日本企業は、品質とコストを同時に改善するというオペレーション効率の視点からのみ競争をとらえているため、競争において持続的な成功を収めることを自ら極めて難しいものにしてしまっている。

ベンチマーキングを実施すればするほど、企業は似通ってくるのだ。

オペレーション効率による決定的なリードを失った日本企業にとっては、低成長と競争の収斂は大きな苦痛をもたらす組み合わせとなった。

もしも、すべての企業が似たり寄ったりの価値しか提供しなかったとすれば、顧客は価格に基づいた選択をせざるを得なくなる。

これは必然的に価格水準を引き下げ、利益を消し去ってしまう。
競争の収斂は、重複した投資や過剰な生産能力を生み出す傾向につながる。

つまり、オペレーション効率のみで競争してきたことにより、多くの日本企業は自ら仕掛けた罠に掛かってしまっているのである。

競争に対する日本企業のアプローチは、競争業者間の違いをなくしてしまうだけでなく、産業全体の収益性を阻害することにつながる。
競争に対する日本型アプローチは、市場シェアの消失だけでなく、慢性的に低い収益性を生んだ。

日本企業の経営者が抱える問題は深刻である。

日本企業は、過去に築いた自らの真の長所を最大限に生かすとともに、今までとは異なる方法で競争するための準備を整えなければならない。

数多くの日本企業が、自己再生のために積極的な努力を払い始めたことはよい兆候である。
しかし、今のところ日本企業の自己変革努力の焦点は、コスト削減や製品ラインの絞り込み、インセンティブの修正、ガバナンス拡大等にあてられている。

コスト削減だけでは、成功はおぼつかない。
今、日本企業には、その経営や競争に関する新たな概念が求められている

日本企業は独自の戦略を持っていない。
戦略を持っている日本企業は稀である。

ほとんどの日本企業が、独自の戦略を欠いている一方で、いくつかの注目すべき例外も存在する。
一握りの日本企業は、明確な戦略を持っている。

独自の戦略を持って競争している日本企業は、オペレーション効率における欧米企業の追随や日本経済全般の不振にもかかわらず、高い競争力と収益性を維持している。

今こそ、日本が新しい戦略に取り組むときである。

日本の指導者は、日本の独自の新しい戦略を策定し、それを具現化する責任と同時に好機をその手に握っているのである。

過去の転換点においてそうであったように、いったん日本人の心構えが変われば、日本という国は急速に変貌を遂げる潜在能力を備えた国なのである。


「本質を見抜く「考え方」」
「自分はいったい何者であるのか」を知り、自分の自画像をはっきり持てば持つほど、ものごとに対して、効率的に対処できるようになります。

とくに「精神の安定」は重要で、自分が何者であるかというアイデンティティが精神を支える根幹の部分を形づくります。
もちろん、それにとらわれすぎてもいけませんが、けっして甘く見てはいけないものです。

アイデンティティという考え方は、どういう姿勢や気持ちで使われるかによって、持っている意味合いに雲泥の差がでます。

たとえば、日本人ということでいえば、後ろ向きの心で考えるときは、「どうせそういう国民性だから」と、都合のいい言い訳になってしまいます。

いまさら変えることなどできないのだから「しょうがない」と、後ろ向きでとらえるか、それを誇りや安心感としてとらえ、自分の「パワーの源」にするかは、結局、自分の心のあり方次第です。

日本のアイデンティティを持った企業は、どこに本社を置いても、どんなにグローバルな展開をしていても、もちろん外国人をトップに据えていても、それはまぎれもなく「日本の企業」です。

日本を訪れた外国人が異口同音に驚く日本人の国民性。
それは外国人よりもまず私たち自身が、しっかり認識しなければいけないものです。

自分の根っこの部分にあるアイデンティティをしっかり認識し、誇りを取り戻し、その上で、いろいろな国の国民性に興味を持ち、お互いに尊重していくことが大切です。

そういう基盤の上に立ってもののごとと、この世界を考えていくことが、ブレない「考え方の座標軸」を身につけ、ものごとの本質を見抜く考え方を養ううえで一番大切なことだと思います。


日本を本気でよくしたい。どうすればいいのか
日本の国際競争力といったときに、それが何を指すかといえば、日本企業の国際競争力のことです。

それでは日本企業とは何かといえば、各産業の企業の集積体ということになります。
さらに、その日本企業を構成しているものは何かというと、ひとりひとりの社員であり、私たち個人です。

つまり、私たちひとりひとりが海外へ飛び出して挑戦しているか。
海外の企業やそこで働く人たちと渡り合っているか。

日本の国際競争力を問うということは、私たちひとりひとりの国際競争力を問うことと同義なのです。

どうすれば日本をよくできるかという問いにも、同じことがいえます。


「日本企業」とはなんぞや?本社は東京だが、幹部のほとんど外国人、最多従業員は中国人
日本企業とはなんぞや?

グローバル規模で、何か国にも展開して現地の子会社をたくさん持つような会社があったとしよう。
そういう会社の幹部は、どこの国の人でもいいはずだ。

たとえば、進化系として、日本出自だが、高度にグローバル化した企業があらわれるかもしれない。
グローバル化の行き着く先はこういうことになるだろう。

こういう会社は、日本企業なのだろうか?
日本企業ではない?

・日本企業は、日本人が経営していないとダメだ
・日本人が経営して外国人に勝つのが、日本の経営だ

と捉えるひとがいるかもしれないが、経営もスポーツと一緒で、日本人だけのチームが多国籍の選抜チームに勝つのは難しい。

もちろん日本人チームで勝てればいいのだろうが、そもそもチームごと弱体化してなくなってしまったら、目的手段が逆転してしまう。

すでに一部の米系のグローバル企業は、社長や幹部は外国人であることは全く珍しくない。


海外の優秀な人材が「日本企業では働きたくない」という理由
多くの日本企業が海外に拠点を置いていますが、現地で行われているマネジメントにはさまざまな問題があると聞きます。

その原因は、日本人と現地の人との「働き方のギャップ」にあるようです。

現地採用の日本人は、単にその土地で職が得られればOKという人も多く、愛社精神があるわけではありません。
なのに彼らは、同じ日本人だからということで仕事のやり方を日本式にされ、長時間で過酷な仕事を強いられます。

しかも給与は駐在員の半分くらい。
その結果、ほとんどがすぐに辞め、駐在員だけで頑張るはめに陥ります。

じつは日本人ならまだマシで、現地の人はもっと短期間に辞めてしまいます。

・サービス(賃金不払い)残業がある
・駐在員並みに頑張っても、昇進できるキャリアパスが明確ではない
・給与が安い(給与格差がある)

これではモチベーションが上がるはずもありません。
精神論的な日本企業のやり方を現地でも展開し、現地から総スカンを食らっているわけです。

もちろん、企業側としては、日本でのやり方をそのまま持ち込んだ方が効率はよいです。
海外進出の立ち上げ期には日本の文化そのままでやったほうが簡単で、しかも少人数でできます。

しかし、その働き方でやる気が起きるのは、本国に帰って出世する未来が見える駐在員しかいないでしょう。


ここがヘンだよ日本のシューカツ
いかに日本の就職活動が日本独特で「ガラパゴス化」しているかを再認識することになった。

まず不透明で移ろいやすい選考過程だ。

外国人留学生の多くは「そもそも日本の就活の仕組みが理解できない」と不満を漏らしている。

そもそも、大学在学中の少なくない期間を就活のためだけに振り向け、大手企業がこぞって採用活動し、学生は数十社も受ける。
企業側はキャリアや実務能力に関係なく新卒学生を大量に採用するという大きな仕組みこそ日本独自のものだ。

留学生の中には「皆が一斉にリクルートスーツを着て就活をする姿が気味が悪い」との指摘もある。

入社後のキャリアや処遇についての考え方についても日本企業と外国人留学生の食い違いが目立つ。
これは長い期間をかけて様々な職種を経験しながら育成するという日本ならではの考えの裏返しでもある。

優秀な留学生が日本の「シューカツ」に愛想をつかし、帰国してしまえば、日本企業にとっての損失にもなる。

外国人採用が増えれば増えるほど、日本企業の採用活動も変化を迫られることになる。
それこそが本当の意味での「黒船」かもしれない。


「似た人ばかり」採用する会社に欠けた視点
イノベーションが重要なのに、企業はなぜそれに逆らうような仕組みになっているのか疑問だ。

マネジャーは皆、同じ考え方をするよう訓練され、特定の部署だけに独創的なアイデアを生み出すことを求める。

会社は同じ方法で同じ大学の学生を採用し、同じような仕事に就かせる。
そして彼らは似たような成果を挙げるだろう。

しかし、誰もが同じやり方で同じことをしていたら、革新も差別化も期待できない。

かつてないスピードで経済が変化する中、企業はどのような従業員を「適材」とするのか見直しを迫られている。

そして今日のような時代には、創造的な人々が必要だ。
そもそも「創造的で革新的な企業」などというものは存在しない。

あるのは、そういう企業をつくる「創造的で革新的な人々」である。
すべては「人」から始まるのだ。

多くのマネジャーは、実験的な試みをさせるより、失敗を防ぐことを重視する。
だが、創造性を追求するマネジャーは、チームのメンバーに対する指示・監督・細かい管理は行わず、彼らを助け、導き、彼らのアイディアを社内に広く伝える役割を果たす。

会社での序列は、部屋の場所や会議室の座席を見ればわかる。
役員は角部屋を与えられ、会議室では上席に座る。

しかし、創造力には肩書きも序列も関係ない。


CIAの「組織崩壊マニュアル」から読み解く、日本企業のヤバイ悪弊
組織崩壊の「裏マニュアル」というのは、米国の諜報機関であるCIA(中央情報局)の前身であるOSS(戦略諜報局)が作成した「サボタージュ・マニュアル」のことである。

これは諜報活動の一環として、内部から組織を崩壊させる手法をまとめたもので、ここには、組織をダメにする手法が満載となっている。

逆の見方をすれば、このマニュアルに書かれている状況を回避できれば、組織の崩壊を防ぐことができる。


○ 何をする場合でも、定められた手順を守り、簡素化した進め方を許してはならない
情報システムは本来、もっとも最適な業務プロセスを標準化するために導入すべきものだが、日本では

「ハンコを押す」
「稟議書で全員の承認を必須とする」

といった従来型のムダな業務をすべてシステムに盛り込んでしまい、ITの導入後も業務の効率化が進まないという、笑うに笑えない話がゴロゴロしている。

手順を変えないので、単純に時間だけを削減してしまう企業が多い。
その結果、本末転倒な状況となっている。

中には正社員が残業できないので、わざわざ高いコストを払って外注先に仕事を依託したり、下請け会社に余分なお金を払って業務を依頼しているところすらある。


○ できるだけ長く「演説」せよ。「愛国心」を織り交ぜるとよい
このマニュアルは、第2次大戦中に作成されたので「愛国心」という言葉が出てきているが、これを

「愛社精神」
「我々のサービスはスゴイ」
「我が社の技術力」

といった話に置き換えれば分かりやすいだろう。

延々と自分の経験談を語り、愛社精神や自社の技術やサービスのスゴさを連発。
なかなか話をやめないという説教上司はいないだろうか。

こうした行動は、確実に組織を崩壊に向かって動かす原動力ということになる。


○ さらなる検討や調査のために大人数の委員会を開催しろ
大人数を動員するという点では、この話は通常業務にもあてはまるだろう。

しばしば、日本では「会議のための会議」が行われる。

日本企業では、1人か2人で済むような案件であっても、なぜか大人数で対応するというケースが多い。

それぞれが勝手なことを言うので話はなかなかまとまらず、案件が前に進まない。
また「ご挨拶」と称して、相手の会社を大人数で訪問し、ただ質問をしてメモを取って帰るという「奇妙」な風習もある。

日本以外の企業にはこうした習慣はなく、相手が外国企業の場合、かなりの不快感を与えているケースが多い。

商談につなげる意思がないにもかかわらず、一方的に面会を求める行為は、日本文化、欧米文化ということ以前に、相手に対して失礼にあたるはずだが、そうした意識は希薄だ。


○ 可能な限り頻繁に無関係な話を持ち出せ
これは会議と共通する話だが、大人数になればなるほど、主題と無関係な話を持ち出す人が増えてくる。

和を重視する日本の組織では「その話は主題と関係ない」と指摘した人の方が「和を乱した」といって批判されるケースも多い。

結局、テーマは発散し、結論が得られないという状況に陥ってしまう。


○ あらゆる決断に対して懸念を示せ
日本の組織では、トレードオフという概念が通用しない。

利益率を上げる施策と売上高を最大化する施策は、たいていの場合、矛盾するが、営業現場では

「売上高をもっと伸ばせ」
「だが利益率は下げるな」

といった指示が平気で出てくる。

意思決定も同じで、ある決定をすれば、何かが犠牲になるといった考え方は許容されないことが多い。

このため、ある決断に対しては、

リスクが高い」
「雇用に影響する」
「企業イメージが損なわれる」

など「やらない理由」が次々と出てくる。

和を重視すれば、結局、何の決断もできないことになる。
その結果として、何も決められず、ただ時間だけが過ぎるというパターンが非常に多い。


なぜ日本人は世界で通用しないのか
日本の入試は中学から大学まで、答えは1つであるという前提でつくられています。
それに合わせて学校でも、答えがある問題を出して、その解き方を教えています。

そういった教育を通して「答えは1つ」と植えつけられているから、答えが出ない現実の問題に対応できない面があります。

フランスの高校卒業試験であるバカロレアでは、「あなたは自由と平等、どちらが大切だと思いますか」という問題が出ました。
これはどちらを選んでもよくて、なぜ自分はそう考えたのかを論理的に説明することが求められるわけです。

日本人とフランス人のハーフの友人がフランスに転校になり、日本で解いたことのある問題がテストで出たそうです。

彼女は日本で習った通りの答えを書いたのですが、結果は0点。
彼女の母親が「うちの娘は正しいことを書いている」と抗議にいくと、先生は

「この解答には彼女の考え方がまったく入っていない」
「これでは世界に対する彼女の付加価値がゼロだ」

と説明しました。

残念ながら日本の場合は、先生が1番偉くて、生徒は知識を一方的に与えられる人になっています。

知識を与えられるだけの教育では、その瞬間に、誰も絵を描けなくなってしまう。
上の意見に逆らうことができない状態じゃいい発想も出てこないし、仕事へのモチベーションも上がらないでしょう。

背景には1人だけ違う意見を持つことを許さない日本企業の文化があると思います。

アメリカでは、自分の考え方と合わないと思えば転職します。
日本のように我慢しない。

ということは、日本では多くの人が自分の考えを諦めているわけです。

採用にも問題があると思います。
企業は、上の意見に服従してくれる人のほうが都合がいい。

だから「答えはいくつもある」なんて難しいことを言う人より、自分たちのカルチャーに染められるように、「とにかく頑張ります」と言う人を積極的に採ってきました。

小中学校のときから「答えはいくつもある」という教育をしていって、彼らが社会に出たときに化学反応が起きれば、新しい日本というものが見えてくるはずです。

日本はベースの教育はいいのだから、うまく組み合わせれば、ふたたび世界に羽ばたけるのではないかと思います。


日本企業のタコツボ化、「井の中の蛙」化
日本企業のタコツボ化、「井の中の蛙」化は恐ろしいほどだ。

転職の少ない日本企業は今でもほぼ純粋培養。
タコツボ化した組織で純粋培養されれば当然、誰もが金太郎飴になる。

しかも井の中の蛙
“外の世界”に関心が持てるはずがない。

新しい組織を設けたなら、経営者は次にタコツボを外に放り出すか(フルアウトソーシング)、中の蛙もろとも井戸を埋めてしまうか、そのどちらかに乗り出す可能性がある。

「そんなバカな」と言うあなたは、経営者の問題意識の変化を知らないだけだ。


右肩下がりの時代を生き抜く3つの方法
終身雇用制は、自社のことしか知らない人材を多数つくりだす。

こうした人たちが、自社でしか通用しない仕事のやり方を次々と生み出してきた。
日本企業があらゆることにおいて自社独自の仕様にこだわるのは、ここに原因がある。

海外では、人材が流動的であるため、業界標準のやり方が重視される。

それによって様々な企業から集まってくる人たちが協力し合って動けるのだ。
それが、グローバルな連携や、他企業との協業、M&Aをも容易にしている。

日本企業は顧客に密着して、徹底的にカスタマイズすることを得意とするが、一方で、業界スタンダードを獲得することの重要性を、本質的には理解できていない。

また、日本の常識しか見えない人をつくることで、新興国のビジネスに乗り遅れてしまった。
独自仕様の追求はコスト高につながり、いまでは、頼りの国内ですら利益をあげることが難しくなってきている。

我々は雇用慣行をも壊すべき時期に来ているといえよう。
いま、終身雇用により守られてきた既得権意識を捨てる日が来ている。

人事慣行に関していえば、日本は中国以上に共産主義的だ。
いま果たしている役割や貢献よりも、平等さや既得権の方が意味を持つ。

その結果、大きな失敗でもしない限り、いまのポジションに居続けることができる。
言い換えれば、誰もリスクを取ろうとはしなくなるのだ。

新しい環境に適応するために、リスクテイクがますます必要になっていく一方で、終身雇用制はそれを妨げる。


人事・組織のグローバル化対応
人事制度がグローバル標準になってきた背景には、人種・性別・年齢による差別の撤廃という命題に、客観性・説明性が高い職務型の人事制度が合っていたこともあるが、グローバル化の中で、このような要素はますます重要となろう。

また、日本で主流の「人・能力」をベースとした制度は、曖昧で属人的な要素が入りやすく、高度成長や儒教の影響といった背景があった当時の日本にはマッチしたが、それも今や当てはまらない。

それではなぜ、未だに多くの日本企業がグローバル標準の制度に変えないのであろうか。
もちろん、職務型の人事制度にもデメリットがあり、それも理由の1つとなっている面はある。

例えば、職務型の制度では、職務を定義して、それを元に等級や給与を決めるため、社員が決められた職務に固執する、といった問題が発生しやすい。
また、急成長企業などでは、職務や組織がころころ変わるので、一度職務評価をしても、評価が変わるかもしれない、といった面もある。

しかし、これらのデメリットは、さまざまな工夫により解消可能であり、決定的なボトルネックとは言えない。
むしろ大きな要因となっているのは、これまでの人事制度の運用と、その結果である。

職能型であれ、職務型であれ、厳格に運用されていれば、結果として、等級や報酬に、それほど大きなギャップは生まれない。
適材適所とは、能力と職務をマッチさせていくことであり、そのような運用がなされていれば、能力で評価しようが、職務で評価しようが、等級も報酬も、同じようになるはずである。

問題は、曖昧かつ属人的な要素が入りやすい「職能型」の人事制度で、そのまま曖昧・属人的な運用をしてしまった場合である。

実は、企業の成長が鈍化した1990年以降、多くの日本企業の人事制度が、制度疲労を起こしていたにも関わらず、そのまま運用を続けたため、大きなひずみを抱えている。
多くの企業で、社歴が長いというだけで、仕事に見合わない高い等級・報酬となっている社員が、かなりの割合で存在する。

このような場合、職務をベースとした人事制度を導入すると、その人の等級や報酬が下がってしまい、本人のモチベーションのダウンにつながる。
また、報酬を下げるにも限界があり、結局、調整給の支給などが必要で、一時的にコストアップとなってしまう。

もちろん、逆に若手で能力が高く、抜擢により大きな仕事をやっているようなケースでは、等級も報酬が上がり、社内の活性化につながる。

しかし、制度疲労を放置した「ツケ」があまりに大きいと、前述した課題も大きくなり、企業に二の足を踏ませる要因となっているのである。


「ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪」
そもそも、従来から日本の企業の「命令の権利」は諸外国から見て際立って強いものであった。
その理由は、日本型雇用においては、終身雇用と年功賃金と引き換えに、柔軟に命令を引き受けるという体質が身についていたからである。

例えば単身赴任という言葉は日本では一般的なものである。
当然、単身で何年もの長期間暮らすことは心身ともに大きな負担である。

だが、日本ではこうした一方的な命令を拒否することはできない。

また、残業にしても同じである。
日本の労働時間は、従来から諸外国に比して長いもので、「過労死」は世界語になってしまったほどであるが、残業命令に対して拒否することも極めて困難である。

だが、こうした厳しい指揮命令は、一方的に課せられてきたのではない。
実は、労働者側が長期雇用と引き換えに、積極的に受け入れてきた側面もある。

日本の雇用契約の場合には、長期雇用と引き換えに仕事の内容や命令のあり方にほとんど制約がかけられず、たいていのことが「人事権」として認められているところに特徴がある。

契約内容をあいまいにすればするほど業務命令の内容は柔軟に、雇用の継続は確実にされていく関係にあるとされる。
命令に制限が少なく、その分雇用が保障されるシステムは、非常に合理的に思えるかもしれない。

だが命令の契約内容に制限がない状態は、世界的にみてもかなり特殊であり、働く者には相当な負担がかかるシステムだといってよい。

これまでも日本企業の命令権は極めて強いものであり、それは時に耐えがたいものであったはずだ。
だが、多くの労働者がそれでもこれを「ブラック」などと感じずに甘受してきたのは、それだけの見返りがあったからに他ならない。

今日私たちが「ブラック」だと感じる理由は、ブラック企業は将来設計がたたない賃金で、私生活が崩壊するような長時間労働で、なおかつ「使い捨てる」からである。

逆に、仕事の内容がはっきりしている欧米型の場合には、解雇されやすい(と一般的に考えられている)代わりに、転職の際に自分のもつ専門性がはっきりしているので、他の企業からも評価されやすい。

その方が、日本のような「どんな命令がくるかわからない」状態よりも、よほど社会的な地位がはっきりしている。


「職場いじめ ― あなたの上司はなぜキレる」
日本的な職場の特質を考える場合に、これまでの日本企業の良好なパフォーマンスを支えてきた年功序列型の賃金体系や終身雇用と、それを支える集団主義的な人間関係の変化を抜きにしては考えられない。

近年、こうした日本的労務管理の弊害が声高に言われるようになった。

その理由は色々とあるが、ひとことで言えば経営環境の変化にともない、これまでのやり方が通用しなくなったり、むしろ弊害をもたらすようなことが起こるようになってきたからである。

これまでは長所としてもてはやされてきたことが、逆に短所となりはじめてきているということである。

これまでのように消費者ニーズが画一化されていた時代には、画一的な商品を大量に生産していればよかった。
そして、そうした時代には、定型的でまとまりのよい集団が、その威力を発揮してきた。

しかし、ニーズが多様化して、それに応じた多種類の少量生産という小回りのきく生産体制には、集団主義的な行動様式はマイナスに働くことになる。

今日求められていることは、集団でどのように行動するかではなく、個人個人がそれぞれの能力や特性を発揮し、その総合力をどのように発揮していくのか、ということである。

こうした企業を取り巻く環境の急激な変化にともなう職場環境の変化が、これまでの制度や意識との間に大きな軋みを生み出しているのである。

つまり、日本企業の特質とされてきたものが、今後どのように変化すべきかということが問われているということである。


「「人手不足」時代の人事戦略」
人事制度・人材施策は、変わらなければならない。
これからの経営環境に適応した制度になっていかなければならない。

そして、人事制度・人材施策にもっとも大きな影響を与えるのは、人口の減少と、これに伴う労働力の減少である。

人口減少社会では、企業は、思うような人材を採用することができない。
だから、自社の採用の要件を満たさない「基準外の人材」を採用して、育成していかざるを得ない。

人材は市場で調達すればよいのだと考えている企業は、深刻な制約を経験することになるだろう。
調達できないからである。

日本の企業では、人事システムや人材にまつわる理念は、企業文化の一部を構成している。

世界的にもそうであるかというと、決してそうではない。
米国を見ていると、人事システムとは一種の社会システムであって、個々の企業が独自性を追求するようなものではないのである。

日本企業は、人事施策の巧拙で差がつく。


「(日本人)」
ほとんどの日本人は誤解しているが、アメリカ企業の能力主義は、利益を最大化するための仕組みではない。
それは、「能力以外で労働者を差別してはならない」というグローバル空間のルールのことだ。

アメリカでは、人種や宗教、性別や年齢で社員を差別することが許されない。

だから定年がないし、履歴書には生年月日を書く欄も、写真を貼る場所もない。
(写真を見れば性別や人種が一目瞭然だからだ)

ひとたび司法の場で差別と認定されると、企業は巨額の賠償金を支払わなければならない。

だがこれは、社会に大きな難問を突きつけた。
あらゆる差別を禁じたとしても、採用や昇進の際に、企業はなにらかの仕方で労働者を選別しなければならないのだ。

そのため唯一残ったのが「能力」による評価だ。
これは能力が、人種や性別のような生得的なもの(どうしようもないもの)ではなく、本人の努力で”開発”可能だとされたからだ。

日本企業の終身雇用・年功序列の人事制度は、年齢と性別によって社員を選別する仕組みだ。

この雇用慣行は日本というローカルな空間のなかでなら維持できるかもしれないが、企業が海外に進出したり、外国人の社員を雇用するようになるとたちまち矛盾が露呈する。

「なぜ日本人の社員と待遇が違うのか」

という外国人社員からの問いに、こたえることができないからだ。


「びっくり先進国ドイツ」
日本の企業では、チーム精神やグループ全体の利益が何よりも重視されるが、ドイツでは会社でも、個人の利益を守ろうとする傾向が強い。

たとえば日本企業では、上司や他の同僚が忙しそうに働いている時に、さっさと退社することは、よく思われないが、ドイツでは職場を出た後の個人の時間を誰もが尊重しているので、あまり白い目で見られない。

また、ドイツでは労働基準法が日本よりも厳密に守られている。

たとえば、基本的に管理職以外の社員は、1日10時間以上働いてはならない。
また原則として夜8時以降の労働、日曜日や祝日の労働も禁止されている。

ドイツでは、労働基準監督署が抜き打ちで労働時間の検査を行うことがある。

この検査によって、企業が組織的に社員を毎日10時間以上働かせていたり、週末労働をさせたりしていることがわかると、多額の罰金を科されたり、人事部長が逮捕されたりする恐れがある。
このため、どの企業でも社員の労働時間には神経を使っている。

もともと、企業に対する忠誠心は日本ほど重視されないので、夜遅くまで残業をするだけでは、あまり評価されない。

いわゆるフレックス・タイム制度を採用している企業も多く、午前9時から午後3時までは会社にいなくてはならないが、所定の労働時間(週37.4時間)をこなしていれば、いつ退社しても良いことになっている。

ドイツ人は朝早くから働き始める人が多く、朝7時からオフィスで働き始めて、午後3時には家に帰るという人もいる。

ドイツでは公私混同を嫌い、会社と個人の時間をきっちりと区別する人が多い。
仕事が終わってから上司や同僚と飲みに行くことは、1年に1回あるかないか。

また、日本とは違って、上司と人事部に報告すれば、自由時間にサイドビジネスを行うことは、本業に差し支えない限り、問題にならない。

ドイツ人の大半はマイペースで暮らしており、取締役や部長クラスを除けば、何かに追われるようにして働いている人は、日本ほど多くない。
賃金協定で決められた旧西ドイツの年間労働時間は、1557時間で、日本よりも284時間も短い。

繁忙期以外に残業時間が増えると、仕事のやり方が非効率的だとして、上司から怒られこそすれ、ほめられることはない。

人々はなるべく残業をせずに、家に帰ることになる。
ドイツ人は会社に勤めてはいても、あくまでも個人であり、会社人ではないのである。

ドイツでは、仕事のしすぎで身体を壊しても、損をするのは自分だけという考え方が浸透しており、ほとんどの市民には過労で死ぬことは考えられない。

企業や役所に勤める人には、法律や労働協約で30日間の有給休暇が保証されている。
会社員や公務員は、ふつう週末には働かないので、丸々6週間の休みである。

残業時間を消化するための代休や、前の年に消化し切れなかった休暇まで考慮に入れると、1年の有給休暇が50日、つまり10週間近くになることも珍しくない。

しかも、上司の顔色をうかがいながら休暇を申請する人は誰もいない。

30日間の休暇は、すべて取るのが当然の権利と見られており、みな堂々と休みを取る。
休暇申請書に休む日を記入して、上司のサインをもらうだけである。

いや、むしろ従業員が30日間の休暇を全て消化しないと、管理職は事務所委員会(組合に似た労働組織)から「なぜ社員を休ませないのか」とにらまれる恐れがあるので、むしろ上司は社員がきちんと休暇を取るように奨励する。

休みを取らないで働いても、「やる気がある」とか「忠誠心がある」と思ってくれる上司はいないので、意味がないのだ。

ドイツの制度の根底にあるのは、

「個人の生活を楽しむ権利を与えた方が、社員もリフレッシュされて、会社のために働く意欲が増す」

という発想である。

大多数のヨーロッパ人にとっては、働くことは苦痛であり、できればやらないで済むにこしたことはないのである。

ヨーロッパの様々な国民の中でも、ドイツ人の個人主義は、特に強い。
他人と折り合いをつけるとか、他人の感情に配慮して妥協するのが、苦手な人が多い。

そういう人にとっては、職場で好きでもない人々と顔を突き合わせなくてはならないことは、ほとんど耐え難いことだが、金を稼ぐためには我慢せざるを得ない。

したがって6週間の休暇は、多くのドイツ人にとって、自己を取り戻すための貴重な時間なのである。

あるドイツ人がこんなことを言った。

「あなたたち日本人は働くために生きているように見えますが、我々ドイツ人は休暇を楽しむために働いているのです」

日本の多くの企業では、大学や高校を卒業した若者が入社するのは、ほとんど4月1日と相場が決まっている。

だがドイツには、このような特別な日はなく、入社式も存在しない。
この国では全員が日本で言う「中途採用者」だからである。

ドイツ人は米国人ほど頻繁に転職しないが、同じ会社に勤めていては、給料が頭打ちになってしまうので、給料の額を大幅に引き上げるために他社へ移るという人は少なくない。

ドイツ人は世間体を気にしないので、失業者は日本ほど肩身の狭い思いをしているようには見えない。

一般的にドイツでは、不快な思いをしてまで、仕事につこうという考え方を持っている人は少ないようだ。


「どうやって社員が会社を変えたのか」
日本のチームワーク力が欧米に比べて落ちてきている、と言われるようになって久しい。

「チームを教育するアメリカ、個人主義化が進む日本」とも言っているのだが、おそらく多くの日本人は逆の印象をもっているのではないか、と思う。

つまり、アメリカは個人主義で、チームワークは日本の専売特許、というものである。

確かに、高度成長真っ盛りの時代は集団主義的な日本の特性が強く現れた時代であった。
集団主義とチームワークは同じではないが、「お互いに協力し合いながら事を進める」という点では、結果として似たような作用をする部分があるのも事実だ。

ただ、高度成長時代には当たり前であった「社員の会社に対するロイヤリティ」は、今やあらかた消えてしまっている。

集団主義すら次第に作用しなくなりつつあるのだ。

このことはつまり、「社員相互の判断基準や行動の原則がバラバラだし、目指すものも共有していないから、集団として存在はしていてもチームとして機能しなくなってきている」ことを意味している。

世の中には単なる仲良しグループを見て、そういうのをチームだと思ったり、チームワークが良いなどと考えたりしている向きが多いものだが、チームワークというのは、そもそも「仲が良いから成立する」ものではまったくないのだ。

日本社会によく見られる「お互いに気を遣い合い、合わせ合っているご近所さんとの関係」でもない。
つまり、チームとグループはまったく異なる概念だということなのだ。

他の先進国やアジア諸国に比べても、相変わらずお互いに気を遣い合い、はっきりと言うべきことを言わない、という日本の傾向には根強いものがある。

気を遣い合うことで、確かに職場の雰囲気はぎすぎすしなくなるかもしれないが、他方、意味のない残業が増えたり、合わせ合ってしまうことで問題が見えなくなり、かえってコミュニケーションが阻害されたりすることも多い。

確かなことは、気を遣い合うこととチームワークの良さとは似て非なるものである、ということだ。

経営と社員の信頼関係が弱まり、意思疎通も不十分になってきていることが、まさにチームワークの悪さそのものの表れなのだが、裏腹の関係で生じてくるのが、官僚主義や、セクショナリズム、事なかれ主義、縦割り組織などである。

社員は目の前にある仕事をこなし、細分化された仕事をたださばくことに集中するのが普通になってしまう。
こんな状況だと、当たり前だが、企業全体が高コスト体質になり、組織の活力は著しく減退する。

日本企業の抱える生産性、利益率とも、他の先進諸国と比べて著しく低いという重大な事実は、その結果として生じているのだ。

といっても、日本人が勤勉さをなくしたというわけではない。

社員の多くは今もなお長時間労働、過労死が問題になるほど懸命に働いているからだ。
それに、生産性が低いといっても、技術力が他の先進諸国と比べて特に低いわけではないのだ。

にもかかわらず、日本企業全体として見ると、低い利益率しか上げられていないという事実のもつ意味は非常に大きい。
そして、この先進国としては最も低い利益率が、社会全体として見れば、人が人として豊かに暮らしていくだけの余裕を奪ってしまっているのである。

この日本企業の抱える余裕のなさが、結果として見れば、長時間労働など社会的弱者にしわ寄せをもたらし、自殺率を高め、日本社会の将来に大きな不安要素を持ち込んでいるのだ。

なぜ、これだけ分社化やアウトソーシングをはじめとする合理化に励み、コスト低減をやり続け、さらには長時間働き続けているにもかかわらず、利益が出にくいのだろうか。
それは、チームワークが働かず、総合力が発揮されにくい環境がいつの間にかできてしまっているからだ。

日本企業のチームワークを悪くしている最大の要因は、社員間の信頼関係もさることながら、経営と社員との間の信頼関係がきわめて希薄になってきていることである。

社員のロイヤリティは、いつの間にか先進国では最も低くなってしまっているのだ。

右肩上がりの時代、頑張ればとりあえず利益がついてきた時代には、会社に対して忠誠を誓ってさえいれば、終身雇用も、そして老後もそれなりに保障された。
年々増大する売上と利益の分け前にあずかることができたからである。

こういう時代であれば、経営と社員の間に横たわる少々の不満も右肩上がりの空気の中でかき消されていく。
経営と社員との間にはまがりなりにも一定の信頼関係が成立しえたのだ。

右肩上がりの時代は、一方的な指示や命令で事を進めても、何とかつじつまを合わせられた時代であった。
ひとつには、指示の中身自体も今ほど複雑ではなかったということと、社員のロイヤリティさえ高ければ少々の押し付けでもそれなりに受け入れられたからである。

つまり、上司が鬼になってやらせることが、それなりの成果に結びつく時代だったのだ。

一方的な指示や命令も、経営と社員の間に一定のロイヤリティが存在し、指示に対しても、それなりに耳を傾ける姿勢を社員がもっているところでは伝わったということだ。

ところが今日では、情報の発信側と受け取る側に基本的な信頼関係が成立していなければ、どんなに大事な方針も発信側の意図どおりに伝わらない、というケースが当たり前になってきている。

経営と社員の信頼関係も、そしてまたチームのありようも決定的な変わり、経営の舵取りが一筋縄ではいかない、厳しい時代になっているのだ。

日本の一番大きな問題はチームワークのなさ、とりわけ、経営と社員のチームワークがいまやかなり多くの企業で危機的状況を呈しているところにある。
しかし、この病理現象も、経営が社員と社員のもつ可能性をどこまで信頼できるか次第で解決可能である。


「逃げる中高年、欲望のない若者たち」
多くの要人が来日し、日本企業を買収しようという動きも加速している。

それは、今のところ学ぶべき高付加価値の技術を、まだ日本が持っているからだ。
あるいはお手本にしたい文化的なコンテンツやソフトがあるからだ。

それらがなくなったとき、つまり技術的にも文化的にも日本からはもう学ぶものがないと思ったとき、どんなことが起こるだろうか。

日本は完全に無視されるだろう。
50年後か、20年後か、ひょっとしたら10年後かわからないが、今のままだと必ずそうなる。


「やっぱり変だよ日本の営業」
早いか、遅いかの違いはありますが、死ぬまで一つの会社にいる人はあまりいません。
しかし、多くの企業は、基本的に社員が会社を辞めないことを前提に行われています。

業種や規模、社風などによっても違いますが、一般的に言えば今の若い日本人は、会社を辞めることに対して何の抵抗もありませんし、辞めることをむしろ前向きにとらえる人が増えました。

これからはこの傾向が加速するでしょう。

戦後、日本企業は長期間にわたって高度成長を謳歌してきました。
人手不足が社会問題になり、「人手不足倒産」まで起きました。

このために社員の確保が企業の経営課題の一つとなり、社員にずっと自社で働くことを期待し、奨励しました。

つまり、「終身雇用制」は企業側の都合だったのです。
日本人の集団心理をうまく利用し、一つの企業に尽くすことを美徳とし、会社を辞めることを裏切り行為と見なすようになりました。

これは、単に長く続くことで習慣化したものにすぎません。
それでも一昔前までは、終身雇用制は日本企業の文化だと言う人がたくさんいました。

しかし、バブル崩壊後やリーマンショックを経て、日本を代表するような企業でさえも大量のリストラを余儀なくされている現状を見た日本人は、自分たちの会社もすでに例外ではないことに気づいてしまいました。

企業のためではなく自分や家族のために働く感覚が、今の若い人たちはもちろん、中年の人たちにも広まっています。

一つの会社にずっといることを前提とせず、もっと自分の生き方に合う企業、もっとやりがいのある企業、もっと条件のよい企業に転職していくことが、自然なことになってきています。

しかし、実際に日本企業は社員が辞める前提で運用されているのか、そのような運用ノウハウと心構えがあるかというと疑わしいのが現状ではないでしょうか。


「採用基準」
グローバル人材を欲しがる日本企業は、今の日本におけるリーダーの不在を深刻な問題とは捉えていないように思えます。

彼らが問題だと思っているのは「商品が、日本では売れなくなった」ということだけです。

だから「外国語ができて、海外でも、日本と同じようにモノをつくったり売ったりできるグローバル人材が必要だ」と考えているのでしょう。

しかしそこには、リーダーが不在だから、リスクをとった思い切った判断ができない、リーダーが不在だから、意思決定のスピードが遅い、リーダーが不在だから、緊急時に右往左往してしまう、リーダーが不在だから、撤退すべき事業から迅速に撤退できず、ずるずると赤字を拡大させてしまう、といった問題意識はまったく感じられません。

あるのは「日本市場が小さくなってきたから、海外へ出よう」という領域の変化に関する問題意識だけです。

本当に今の日本、そして日本企業に必要なのは、「外国語が話せ、海外でも自分たちで開発、営業、マーケティングなど、従来の事業オペレーションを粛々とこなせる人材」なのでしょうか?

そういった仕事は、現地の人ではなく、わざわざ外国人である日本人がやる必要のある仕事なのでしょうか?

もしリーダーシップをもっていることも含めて「優秀な人材」と呼んでいるのなら、今の日本企業や組織は、「リーダーシップ不足」による問題にはなんら直面していないということになりますが、本当にそうなのでしょうか?

日本に足りないのはリーダーシップであると同時に、「リーダーシップに関する、重要性や必要性の認識」です。

そしてそのことを如実に表しているのが、昨今の「グローバル人材」という流行り言葉なのです。


「どうする? 日本企業」
やりたいことが先にあり、それに遭遇した結果として成長を遂げるのが、企業の正常な姿です。

ところがいまや多くの企業が、やりたいことはそっちのけで、成長目標の実現に邁進しているようです。
しかし成長を目標に掲げると、ろくなことになりません。

いま、日本のあちらこちらで不思議な現象が起きています。
どこの会社でも経費削減と早期退職の嵐が吹き荒れて、年収は頭打ち、年金だっていくらもらえるか定かでない・・・。

日本企業は管理職の延長線上に経営職を置いてしまったため、管理一辺倒に陥り、寿命を迎えた事業の立地にしがみついたまま、利益が伴わない不毛な努力を続けている。

日本企業の特異性と言えば、一般には終身雇用や年功序列が話題に上りますが、これらは海外にも採用する企業があり、日本にも採用しない企業は少なくなかったと言われています。

日本企業だけに押し並べて見られる傾向ならば、むしろ「地縁」重視の多角化を挙げるべきなのかもしれません。
閉じた会社組織内で積む経験を重んじてきた日本企業の限界が、こういうところに現れるのかもしれません。

日本企業が「成長の奴隷」になってしまったのではないかと思えてきます。

まるで強迫観念に取り憑かれたように成長、成長とまくし立て、売上高は伸ばし続けてきたものの、その陰で利益を度外視したツケがたまりにたまって、閉塞感を打破できない状況に追い込まれてしまったのではないでしょうか。

掛け声だけは威勢のいい中期経営計画がどれほど虚しいものか、皆さんにはもうおわかりのはずです。

結果として実現する成長なら喜ぶべきですが、成長を必達目標に掲げるのは本末転倒で、それを許してしまったからこそ日本は辛酸を舐めることになりました。

このままでは企業の組織も社員の生活も、そして国の財政も、疲弊するばかりです。

そろそろ発想を入れ替えるときだと思いませんか。

-----


うーむ・・・
どっ・・・、どーでしょう???

「そっ・・・、そーだったのかー! ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! 」
「だからかー!!だからだったのかー!! ヾ(.;.;゜Д゜)ノ 」

という方も、いらっしゃれば・・・

「ナルホド・・・、ちょっぴりわかった気がするかも・・・ ヽ(´ー`)ノ 」
「あ、なーんだー、そーだったんだ〜 (〃▽〃) 」

という方も、いらっしゃれば・・・

「わかったよーなわからんよーな・・・ ( ̄д ̄;) 」
「やっぱ、頭がウニ状態じゃー!よくわからーん! \(  ̄曲 ̄)/ 」

という方も、いらっしゃるんじゃーないでしょうか?

他にも、例えば・・・

会社の全体像を俯瞰すると気づく事、俯瞰しないと気づけない事って何だろう?
「選択肢の広げ方や作り方とは?思い込みや方法論に走る前にできる事って?」シリーズ
「根本的な原因とは?真因とは?今見えている問題って本当の問題?」シリーズ
社長にとって必要な組織とは?必要となる組織力の向上や強化って同じ?
「組織じゃないとできないこと、組織でなくてもできることって何だろう?」シリーズ
「内向きな組織とは?内向き志向とは?内向きな組織になる原因って何だろう?」シリーズ
「会議とは?何のため?無駄な会議と意味のある会議の違いって何だろう?」シリーズ
「付加価値の源とは?誰が何をどうしたら付加価値が向上するんだろう?」シリーズ
売上が上がらない、利益が出ない、赤字になる本当の原因って何だろう?
人材育成をマーケティング・コンセプトから考えると見えることって何だろう?
「人材育成で効果が出る事、人材育成では効果が出ない事って何だろう?」シリーズ
人間にしかできないこと、コンピュータにできること、できないことって何だろう?
「優秀な人材が見つからない、有能な人材が採用できない原因って何だろう?」シリーズ
「国籍で選考する会社、国籍で選考しない会社の違いって何だろう?」シリーズ
「年齢にこだわって採用するか不採用にするか決める理由って何だろう?」シリーズ
「人材採用とは?従業員を雇用するのは何のため?誰のためなんだろう?」シリーズ

などなども含めると、いろんな意味で考えさせられちゃいません? (^^)

ふーむ・・・、こーやって考えてみると・・・

まだ見えていないだけで・・・

意外なところにヒントがいっぱい溢れている
おお〜っ ━━━━ヽ(゜Д゜)ノ━━━━ 見っけ〜♪


のかも〜???

なーんて、感じません? (〃▽〃)

どっ・・・、どうでしょう???
皆さまは、どう思われますか?

というワケで・・・

「海外や日本の常識、グローバル化や国際化、グローバル人材などから自律的に考えて行動してみる」カテゴリとしては、


■ 日本製品とは?何がどうなら日本製?メイドインジャパンの基準って?


へ、続きまーす。(^^)/
( ↑ あくまでも予定なので変更しちゃう可能性もあります、ゴメンナサイ)

ちょっと興味あるかも〜?
って言ってくださる方は、お付き合いいただけると嬉しいです。(^^)

あ・・・、続きは気が向いた時に書く予定なので・・・
しばらく待ってやってくださいますよう、ひれ伏してお願い申し上げます(懇願)。
m(_ _)m


※「一体いつ、続きを書くんだよー(怒)!」と言ってくださる奇特な方へ※
「自分で考えて行動する「自律型人材(自律型人財)」が育つ組織って?」ブログの更新状況は、大きく分けて以下2つの方法でお知らせしておりますので、もしよろしければ使ってやっていただけると嬉しいです。m(_ _)m


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